旅行



オーストリア
ウイーン ザルツブルグ

1日目
 今回は念願のザルツブルグ(Salzburg)とウイーン(Wien)を訪れる旅行である。例によって個人旅行なのだが、オーストリアは主としてドイツ語である。言葉は心配だが、とりあえずは旅行会社のKさんにフィンエアーの座席を確保してもらっていたので、ヘルシンキを経てウイーンへゆくことに決めた。
 1時半の関空発ヘルシンキ行きに乗る。機材は小ぶりな飛行機だったが真ん中が3座席、乗り心地は悪くはなかった。乗員は大柄、愛想はまあまあ。食事もとりわけおいしいということもなく印象は薄かった。ヘルシンキまで約7時間、北極の上空を飛ぶので、時間は早い。着陸前、窓から見るヘルシンキはずーっと針葉樹林帯が続き、北欧なんだという感じだった。「ノルウエイの森」の文章を思い出した。ヘルシンキで3時間弱待つ。ムーミンショップなどがあり、こぢんまりとした空港だった。ここからウイーンへ向かう。ヨーロッパの端なので少し時間がかかり、3時間ほどだったと思う。

 夜ウイーン空港について現地ガイドのOさんに会った。がっちりとした白髪短髪のおじさまで74歳という。テノールの歌手で現在もコンサートをしており、またウイーンと日本の観光の架け橋として重要な仕事をされていると言うことだった。大物らしい。日本の観光局の大物などが来ると全部彼が呼ばれると言うことだった。以前は全日空が直行していたらしいが今はなくなっていてとても残念がっていた。
 夜、市内のかなり新しいホテルへ。涼しかったというより寒かった。ウイーンの街の外れで市立公園が望める場所だった。夜景は静かで暖かい感じ。夕食はすぐ前の近代的な中央駅の建物の中にあるベトナム料理店で食べた。混雑していた。とても辛く、雑な料理という感じ。辛ければOKというものか。口には合わず。

2日目
 翌朝ホテルの朝食。ほとんど野菜サラダ、パン、ハム、ウインナーソーセージ、チーズなど。いつもと同じ様で特徴はない。朝食後、Oさんが迎えに来てくれ、そのままチェックアウトし、いったんホテルから出たら、かなり寒かった。そのまま車で高速に乗り、まずザルツブルグへ向かった。ザルツカンマーグート経由。アッター湖畔のGutav Klimt-Zentrumへ。お天気は今ひとつだったが、この湖は本当に美しい。クリムトが湖畔の並木道を描いた場所。クリムトとその妻の等身大の写真があり、その顔の部分が丸く欠けている日本でもよくある写真用の看板で僕たち二人は開いたところから顔を出し、写真を撮った。グスタフ・クリムトは小柄な人だった。
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 そのすぐそばにクリムトが描いた絵が看板に映し出されていてその一つ一つはとても美しい表現で、クリムトは風景画もすばらしいことを知った。ここにはないがいつか見に行きたい。湖岸にヨットハーバーがありとても優雅だった。

 続いて訪れたのはすぐ近くにあるグスタフ・マーラーの小さな作曲小屋。3畳ほどのささやかな一軒家で楽譜や楽器がおいてあり、窓からはアッター湖が見える。マーラーは友人に「もう湖は見なくて良いよ、全て曲に表現したから」と言ったそうである。うーむ。素晴らしい眺望である。木製の細長い桟橋を歩いて、湖面を見つめた。ヨットがたくさん停泊して、きれいで羨ましい世界だった。

 そこからサンクト・ヴォルフガングへ。ヴォルフガング湖のほとりにある美しい街。すぐに山が迫り、その山シャーフベルグ山(Schafberg 1783m)に登山鉄道があるそうだ。こちらサウンドオブミュージックの最初のシーンが撮られたところである。時間がなく割愛。かなり残念。
湖畔の有名なホテル(Romantik hotel im Weiseen Rossl) のレストランで淡水魚マスのムニエルを食べた。ここの代表的な料理だという。だいたい湖の畔だとこのような食事。味はご愛敬か。街をぐるぐる散策した。それでもシャーフベルグの麓、少しチロル風の丘へ細い道を登り、湖を見る。周囲は草原で牛はいなかったが、ゆったりとして気持ちが良かった。こんなところに住みたいな。

 少し戻ってサンクト・ギルゲンへ。ここはモーツァルトの母親の生まれた街。生家のがあり、きれいな花が飾られていた。近くのショップでお土産に岩塩を購入。少し歩くと市庁舎があり、その前に幼いモーツァルトがバイオリンを弾く像が立っている。この前で写真を撮った。背後にある湖がきれいだった。ここの北の山、ツヴェルファーホルン(Zw?lferhorn 1522m)へのロープウエイがあるという。これも割愛。残念。

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 さていよいよ世界遺産のハルシュタット(Hallstatt)へ。ハルシュタット湖西側の湖岸の道路を走っていくと一瞬街と教会が見えたが、すぐにトンネルに入る。崖の上から水がどっと落ちていた。トンネルを抜け、駐車場に停めて、ハルシュタットの街へ。街へは車は地元の人しか入れない。とても小さな街。珍しい木造の古い家並みが湖岸に面して並んでいた。花やいろいろな工芸品だろうか、飾り物がきれいだった。とても古へからの雰囲気が残っていてやさしい街であった。日本の建物に似ているので親近感がわいてきた。ここも時間がないとのことで真ん中の教会と広場を見ずに離れたところから写真を撮った。湖と教会、小さな村本当に美しい。湖で親子の鴨がゆったりと浮かんでいた。向かい側の山にハルシュタット塩坑が遙かに見えた。世界最古の塩坑で現在も操業中とのこと。見学ができるのだが、町外れのケーブルカー乗り場に行き、そこから山上に上がり、山上駅から見学ツアーに入るらしい。滑り台を降りたり、坑内深く入り結構時間がかかるとのことでここもスルー。かなり高いところにケーブルカーが展示されていた気がした。それはあきらめやすい様子だった。ハルシュタットをさよならして、一路ザルツブルグへ。幸せそうな町並みだった。

ザルツァッハ川に面した古いホテル(Radison Blu Altstadt Hotel)に到着。古さはあるものの良い部屋だったが川面は見えず。向かいの山には重厚な建物、修道院が夕日を浴びてて美しかった。夕食はやはりマスと野菜を食べた。バリエーションがあまりない。

3日目
 朝7時、ホテルのほとんどいつも同様の朝食。やはり僕たちだけで職員もいなかった。少し後から中年の女性が来たので「グーテン・モルゲン」と挨拶したらにっこり笑って同じように挨拶してくれた。どこでもどうぞという感じでだったので、一番奥のテーブルに座った。ザルツァッハ川を望む景色がとてもきれいなレストラン。残念ながら川がかなり濁っていて、水量も多い。船が流れが速いため苦しそうに押されながら進んでいた。ずいぶんたくさん雨が降ったという。そのためか未だお天気ももう一つで、水がきれいでない。これは少し残念。川の上には向かいの修道院がよく見える。ザルツァッハ川の向こう岸に2連のトロリーバスが走っていた。レストランには僕たちだけだった。朝が早いのだろう。朝食を済ませた後、Oさんが来てホテルを出発。歩いて観光に出かけた。中心部はすぐ。

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 ザルツブルグは夏に行われる音楽祭で大変混雑し、色々な場所で音楽祭の会場が設営されていた。音楽の都ならでは。大変着飾ったいろいろな年代の人たちがゆっくりと歩いていた。僕たちのような田舎ものの出番ではない。残念ながら音楽会には行く計画はない。まずはホーエン・ザルツブルグ城へ。登りは小さなケーブルカーで一気に登った。
 お城の一番上の城壁から四方を眺めた。城壁から飛び降りそうな石で作られた見張り小屋が印象に残っている。まずはザルツブルグの街をゆっくりと眺めた。城のすぐ下は大聖堂、その向こうにザルツァッハ川、右上にクリスティーナ修道院、歴史と音楽の美しい街。左方向にミラベル宮殿と庭園がわずかに見える。南の方角にはサウンドオブミュージックの館が見えた。
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ホーエンザルツブルグ城の中に入って、中世の展示品を見た。おどろおどろしい拷問椅子や例によって貞操帯、これはヴェネチアのものよりも優しい感じがした。それに不思議なことに宮崎駿さんの「紅の豚」の主人公の豚にとてもよく似ているマスクがあった。これは宮崎駿さんがこれを見て参考にして作ったのではないかと思ったくらいである。それにしてもやはり中世というのは恐ろしく暗い時代だったのだろう。
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その遙か向こうにはアルプスのようで雪を被っていた。真南はドイツの一部のはず。十分景色を楽しんだ後、北側の階段を下り、ザンクト・ベーター教会を見に行った。中に小さなエリアだが、サンクト・ペーター墓地があり、花々がきれいで鉄細工で飾られていた。新しい墓地のひとつが日本人のものだということを聞いた。数そのものが少ないので不思議な気がした。なんだかコネがものをいったとOさんが教えてくれた。岩の中をくりぬいたところに由緒あるレストランがあった。とてもすてきな雰囲気だった。
 ドーム広場を通り、エゲトライデ通り(Getreidgasse) にでて、すぐにモーツァルトの生家を訪れた。たくさんの人たち。黄色の壁。中に入ると結構立派な家。小さなバイオリンが飾られていた。肖像画、自筆の楽譜、手紙などが飾られていた。感動の連続。時間をかけて説明を聞いた。Oさんは音楽の専門家なのだ。そこから出て、ゲトライデ通りを歩いた。とても賑やかな通り。鉄細工の小さな看板がとても素敵である。雰囲気たっぷり。そこからシュウターツ橋を通ってザルツァッハ川を渡った。

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 橋を渡るとすぐ右手にモーツァルトの住居が有り、そちらには行かず左に折れるとすぐにミラベル庭園の入り口が見えた。少しお天気が悪くなってきた。花がとてもきれいだった。その先にミラベル宮殿が見えてきた。大司教が愛人のために建てさせたという豪華な宮殿。最初は彼女の名前からつけたものだったらしいが、後継者によって美しいという意味のミラベルに変更したらしい。見学できる「大理石の間」のみ見て、しばらく庭園で美しい花々とホーエンザルツブルグ城を見て過ごした。少し不思議に思ったのは宮殿は素晴らしく立派なのだが、アプローチから宮殿に向かって庭園はあるのだが、宮殿の横にも庭園の一部があり、トータルのバランスが今ひとつ悪い感じがした。ここは「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になったところで、ペガサスの泉や「ドレミの歌」を歌った階段があった。
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 雨が少し降り始めた。傘を差しながら庭をゆっくりと歩いた。外に出てそのままザルツァッハ川のモーツアルト小橋を渡り、モーツアルト広場の前にあるカフェ、デーメル(demel)に入った。ザッハートルテで有名な店である。ウイーンにて特に有名なザッハーホテルのカフェにザッハーが考案したとされるザッハートルテは世界中で非常に有名なチョコレートケーキである。デーメルもデーメル・ザッハートルテで有名で現在、どちらが本家かもめたという。その話を聞くとどう考えてもおかしいと思うのだが。ザッハーが作ったのだからザッハーが本家じゃないの。実はザッハーが経営困難に陥って、デーメルが資金援助をしてザッハートルテを作ることを承諾したという契約なのだそう。本家はザッハーだが、これは仕方がない問題なのだろう。とりあえずデーメルでザッハートルテを注文。こってりとしてとても甘いケーキだった。すぐ隣の席に美しく着飾った、大変裕福そうな中年の女性達が3つの山になったこんもりとしたケーキをおいしそうに食べていた。見るからに甘そうだった。若いときはほっそりしていても皆さんじわじわと体重が増えてくるのだろう。彼女たちも今日、コンサートを楽しむのだろう。ここからゲトライデ通りを歩き、少々寒かったので、いろいろな雑貨を置いてある店に入ってみると、奥に軽いダウンコートがあり、妻がちょうどよく似合っていたので、購入。僕はBossのポロシャツを買った。やはりオーストリアは寒いのだ。よく理解していたはずだが。いつもだ。

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 ゲトライデ通りを西に抜け、メンヒスベルグに向かった。エレベーターがあるのだが、岩山をくりぬいて、ビルがあり、その中にエレベーターがあった。不思議な空間だった。かなり珍しい風景。美術館があったが、そこには入らず、屋上に出て、階段を上ると展望台があった。その上にレストランがあり、素敵な雰囲気。後ろを振り返ると美しいザルツブルグの風景が見えた。右にホーエンザルツブルグ城、大聖堂、中央にザルツァッハ川、その左にカプツィーナ修道院、正面にミラベル宮殿、左の方にザルツブルグ中央駅。街を一望できる。裏に回ると遊歩道があり、登ってくる人たちがいた。おもしろい四角い空間を造ったモニュメントがあり、愛嬌を感じた。そこからまたエレベーターで降り、ザルツブルグ音楽祭の主会場である祝祭劇場の前に出た。メンヒスベルグの岩山を削って作られていて外からは広い会場に見えなかった。そのままホテルに帰り、少し休んだ。夕食を摂るためゲトライデ通りへ。ホテルの反対側から直接出ることができる。西に向いて少し歩き、レストランを探した。Oさんからは日本料理屋があるが、入らないようにといわれていた。C国とK国の人が経営していて全然おいしくないという。ザルツァッハ川に近いところにレストランがあり、そこに入った。サラダ、牛肉、スープなど選び食べた。米が備えられていた。どうも野菜の一種のようだ。おいしくないので残した。まあ中くらい。
 

4日目

 翌朝、タクシーでザルツブルグ中央駅に。ここからウイーンへ。がらんとしていた。車窓からの眺めは本当に素敵だったチロルの風景がそのままあり、美しい山、きれいに整えられたグリーンの斜面、窓際に花がきれいに飾られているチロルの家並。これだけでこの電車に乗った価値があった。車掌さんが来て、ほかに誰もいないこともあり、切符をチェックした後、「ジャパニーズ?」と話しかけてきた。「ya」と答えたら、とてもうれしそうに僕はトルコ人で日本が大好きで、行きたいんですといって、いろいろな話をした。アニメが大変好きならしい。彼はトルコ人はみんな日本が大好きなんですとしきりに言った。トルコの人たちが日本を好きだというのは本などでよく読んでいたが、実際のトルコ人と話をしたのは初めてでうれしかった。彼はその後、ウインクをして仕事に戻った。ウイーンに近くなると車窓は無愛想な防音壁と、背の高い草によってほとんど見えなくなった。

 静かにウイーンに着いた。ホテルにタクシーで行き、そこでOさんと会って、そのままチェックインした。グランドホテル・ウイーンというきれいなホテルだった。目の前の通りは電車が走っている。ここにはANAの雲海という日本食レストランがある。ここはもともとANAが提携しているホテルだったが、現在は撤退しているという。少し前までウイーンと成田は直行便があったのだが、現在なくなったとOさんが残念そうに話してくれた。すぐにOさんとシェーンブルン宮殿(Schonbrunn)に行った。マリア・テレジアが造ったといわれるハプスブルグ家の夏の離宮ということだった。黄色い外観はテレジアイエローと呼ばれているらしい。花々がたくさん咲いている広大な広場を抜け、宮殿内に入った。1441の部屋のうち40部屋が公開されている。おもしろかったのはフランツ・ヨーゼフT世の執務室や寝室、妻エリザベートの寝室などであった。ところでフランス革命で処刑されたフランス、ルイ16世の妃となったマリー・アントワネットはマリア・テレジアの娘である。ちなみにマリア・テレジアは16人の子どもを生んだという。また、石炭の暖房機が大変大きくきれいな姿であった。これは各部屋に置かれていた。一通り見て回り、外に出て庭園に出た。この広い庭園は左右対称で典型的なヨーロッパの庭園だ。その遙か向こう正面に軍事的な記念碑として建てられた建築物で雄大な姿を見せていた。雨がかなり降り始め、そのまま庭園にも出ず、グロリエッテにも行かず、引き返した。ここの展望テラスはウイーン市街やウイーンの森を眺めることのできる素敵な場所ということだった。少々残念。
 そのままオランジェリーの方角に行き、レストランで昼食を摂った。ここでOサンお勧めのウイーン名物、ヴィナーシュニッツェルを注文した。豚肉を薄く叩いてあげたシュニッツェル(カツレツ)である。ミラノで食べたコトレッタとよく似ている。とても大きくお皿からはみ出ている。まあまあおいしかった。そこから東に向かって走り、ウイーンの南にあるベルヴェデーレ宮殿に向かった。ここはトルコ軍からウイーンを救ったプリンツ・オイゲン公の夏の離宮である。オーストリア風バロック建築の代表格で、上宮から穏やかな斜面の庭園と下宮越に見えるウイーン市内の眺望は本当にすばらしい。ベルヴェデーレとは美しい眺めという意味である。南側から入ったが、四角い人口の池がこの周囲はきれいに手入れされ、たくさんの花がきちんと植えられていた。とてもきれいだった。この上宮は19〜20世紀のオーストリア絵画の美術館になっていてグスタフ・クリムトのコレクションは世界最大といわれている。代表作の「接吻」を見た。うーん、納得という感じだった。ずーんと来る感じはあった。近い雰囲気のエゴン・シーレの作品も見ることができた。エゴン・シーレはクリムトより28歳若いのだが、クリムトの影響を強く受け、クリムト同様、エロス、生と死、内面の苦悩をテーマにした作品が多い。本当はアッター湖畔のクリムトの看板にあったような自然を描いた絵をもっと見たかったが、ここには少なかった。外に出て、北の方に下宮があり、その間に広い美しい庭園があった。女性のスフィンクス像があり、ウイーン市街もシュテファン寺院も塔も見ることができた。この景色はベートーベンの田園交響曲の発想の舞台になったそうだ。非常にすばらしい風景を呈していた。その後車でホテルに帰った。
 ここはオペラ座にとても近く、玄関からでも3分歩けば着く。横の出口からオペラ座に向かってみた。隣のビルに入ると、たくさんの素敵な店が並んでいた。花屋さんがあり、とてもきれいな花が飾られていた。やはり気温が少し低いので花が本当にきれい。そのあたりの雰囲気が良くゆっくりと観て歩いた。隣のビルを出ると大きな通りに出て、すぐ前にオペラハウスがあった。優雅な建物である。これでイタリアミラノのスカラ座、パリのオペラガルニエ、そしてウイーンのオペラ座の3大オペラハウスを見た。残念ながらオペラを見たことはない。将来いつか必ず。この通りはケルントナー通りであり、オペラ座の向こう側、左側にあのザッハートルテで有名なホテル・ザッハー・ウイーン(Hotel Sacher Wien)があった。このあたりでは普通の建物だ。この中心の通りをシュテファン寺院に向かった。しばらく街の中を歩くと、右側に大きな教会が見えた。これがシュテファン寺院であった。大変大きな建物で、瓦屋根がカラフルで素晴らしい。ぐるりと一回りしてみると南側を改装していた。中に入らず、そのままシュテファン広場からグラーベン通りを歩いてみた。ペストの流行が終焉を迎えた時に、記念碑として建てられたペスト記念柱(三位一体記念碑)があった。そのままつきあたりを左に曲がり、コールマルクト通りに入った。ここはブランドショップがずらりと並んでいた。先に進むと突き当たりに王宮が見えた。すごい建物が並んでいるものだ。そこには入らずまた引き返し、グラーベン通りからケルントナー通りを経て、左に折れアンカー時計を見に行った。(アンカー時計:ふたつ建物の間にある仕掛け時計。オイゲン公やマリア・テレジア、ハイドンなどウイーンの歴史に登場する人物が横に移動しながら時を刻んでいる。正午12時には全員がそろう。)
 そのままホテルに帰り、地下にショッピングセンターがあるので、ここでうろうろして水やチョコレートなどを買い、部屋に戻った。近くのレストランに行き、夕食を摂った。

5日目
朝食は2階のレストラン。ビュッフェ形式。ほぼ今までと同様。ほぼ同時に日本人のツアーの人達と一緒になった。僕たちとほぼ同じ年齢かもう少し上。旅慣れている感じ。朝食を済ませて、9時頃Oさんがロビーに来てくれていた。ここから歩いて出かけた。オペラ座をの前を通り、右に曲がり、オペラ座博物館の前を通り、アルベルティーナの左側を抜け、王宮庭園に入った。 
 王宮庭園はかなり広く、たくさんの大きな樹木が広がっていた。歩いて行くと芝生の中に黒い鳥が3羽虫を食んでいたのだろう、ぴょんぴょん飛び歩きながら、芝生の上を飛び跳ねていた。くちばしは黄色い。鳩より少し小さくキジバトと同じくらい。Oサンによるとこの鳥はクロウタドリ(ドイツ語でAmsel)といって5月から7月くらいまでとてもかわいい、きれいな声で鳴くという。ところが8月になると鳴かなくなるのだそう。確かに目の前のこの子達は全く鳴く様子はない。ひたすら芝生に落ちた食べ物を食べているようだ。動き方もかわいいし、黄色いくちばし以外は真っ黒なので、見た目はどうということもない。しばらく彼らを見た後、庭園の奥の方に行くと、右手にモーツァルトの銅像が建っていた。ここでしばらく銅像を見た後、ホーフブルグ(王宮)に向かった。中庭の右手にスイス王宮があった。スイスの傭兵が警護していたことから名付けられたという。入り口は美しい彩色のスイス門。赤、青、紺色の装飾がなされている。きらびやかな感じである。隣のスペイン乗馬学校を外から見て、旧王宮に入った。乗馬学校はカール2世が軍備強化のためにスペイン種から軍馬リピッツァーを誕生させたとされる。建物はカール6世が建設したバロック様式のホールである。大変立派なものだ。

   旧王宮に入った。皇帝の間、謁見の間、寝室など見た。寝室は意外と質素であった。そしてなんといってもシシィの愛称で知られるフランツ・ヨーゼフ1世の妻であり、美貌の皇妃エリザベートの部屋がすごかった。シシィ・ミュージアムである。皇后の大サロン、紅いサロン、ディナールーム、居間兼寝室などがあり、皇后の力の強さを実感した。エリザベートは皇帝とは別の寝室を要求して皇后専用だったという。宮廷公務を拒否したエリザベートはこの部屋で過ごすことが多かったという。肖像画は美しく、身長172cm、体重50(48)kg、ウエスト50(48)cmというほっそりとした体、透明な肌、美しい髪、すばらしい美貌。その美しさを保つための部屋、化粧室兼体操室に吊り輪やはしご段が備え付けられていた。現在それらはそのまま残っていて、信じられない気持ちだった。そしてそのプロポーションを保つために生涯、毎日運動とダイエットに励んだとのこと。その強い気持ちを伺うことができる部屋だった。また、美しくしなやかなドレスや宮廷銀器コレクションには宝石類やディナーセットが展示されていた。旅行の時も旅行用の客車があり、その中にはトイレも備え付けられていた。本当にすごかったが、彼女は61歳の時に旅行中、イタリア人の無政府主義者に暗殺されて亡くなったとのことだった。老いていく苦悩を強く感じながらの旅を続けたのだろう。正しく現代に通じる生き方だったことに驚く。彼女が本当に幸せだったのかどうかはわからないが、人のうらやむとんでもない生活だったことは間違いない。そんなことを感じながら、旧王宮を後にした。

 ブルグ門を通りぬけると、正面にマリア・テレジア像が見えた。マリア・テレジア広場だ。大変豪華な広場でこのブロンズ像も素晴らしい。向かって左側の美術史博物館(KHM::Kunsthistorisches Museum)に入った。素晴らしく豪華な建物でホールや階段、天井に至るまで当時の技術と美術の粋を集めて造られたものと思われた。ハプスブルグ家が集めた美術品が展示されていて、フェルメール、レンブラント、ルーベンス、ブリューゲルの作品を見ることができた。その中でもフェルメールの「絵画芸術の寓意」は素晴らしく、またブリューゲルの「バベルの塔」、「農家の結婚式」など本当にすばらしかった。
 美術史博物館を出て、また王宮方向に戻り、カプツィーナ教会を訪れ、マリア・テレジア、フランツ・ヨーゼフ1世、エリザベートの納骨堂を見た。この床の下にマリア・テレジアやエリザベートが眠っているのだ。そこを出て、ケルントナー通りに出てシュテファン寺院に向かった。相変わらず人は多かった。シュテファン寺院は荘厳で格式の高い建物、大聖堂だった。1147年ロマネスク教会として創建、14世紀にルドルフ4世の命令でゴシック様式に変更されたという。南塔は137mの高さがあり、途中の展望台に上った。屋根瓦が丸いタイルのようであざやかな色の組み合わせがとてもきれいだった。南側は修理中だった。外側は巨大な写真?が貼られていた。ヨーロッパの修理中の建物は全て外側に写真やコマーシャルのボードが張ってあり、これはこれで良いかなと思う。シュテファン寺院は寺院の写真だった。そこからドナウ運河の方に向かって歩いた。アンカー時計がある場所から右手に少し行くと、ウイーン最古のレストラン、グリーヒェンバイスル(Griechenbeisel)があり、そこを訪ねた。雰囲気満載の細い道に入り、通りにかかる円形の看板が迎えてくれた。Oさんはそこにどんどん中に入り、僕たちも訳がわからずについて行くと、壁にたくさんのサインが書いてあった。ここはサインの間というところで大変な有名人がサインをしているので有名なところだった。モーツァルト、ワーグナーなどの直筆のサインがあった。うーん、すごい。ここでは何も注文することもなく、サイン群だけ見て外に出た。え、いいの。南側の小さな通りを出ると、すぐ前にドナウ運河が見えた。普通の川である。
 確か、「男はつらいよ」ヨーロッパ編でここドナウ運河で撮影が行われたと思う。その映画を見たことがある。もちろんドナウ川の本流ではない。ドナウ川も見たかった。
そこからいったんホテルに帰り、少し休んでから ドナウ運河の川辺にあるホテル、ソフィテル(Sofitel vienna)に向かった。ここの最上階にあるレストランを予約していた。まずリンクの電車に乗り、西回り(時計回り)に出発。不思議なことにこのリンクの電車はぐるぐる1周していないのだ。山手線のようにぐるぐる回れない。オペラ座やブルク劇場、国会議事堂、5つの尖塔を持つ市庁舎、ヴォティーフ教会などすばらしい建築物が目の前を流れていった。シュベーデンプラッツ駅で降り、目の前のドナウ運河の川岸を歩いた。少々残念なのは落書きが多かった。橋を渡り、右手に背の高い近代的なビルに入った。よくわからなかったが、ソフィテルと書いてあったので、建物に入り、エレベーターに乗ると中が証明が非常に暗く、暗い小さなエレベーターの中で不安に駆られながら、エレベーターを降り、レストランに入った。sofitel

すばらしいウイーンの景色が飛び込んできた。ウイーンが一望できるのだ。少し日が傾いてきて、アレンジ色の街は本当に美しかった。天井がカラフルに抽象画のように染められていて不思議な空間だった。外からこのレストランを見ると、そのモザイクのような天井が見えていた。窓際に座り、外の景色を楽しみながらワインと野菜サラダ、ターフェル・シュピッツを食べた。お勧めの料理である。デザートがきれいにまとめられ美味しかった。外が暗くなり、夜景を楽しめた。真っ正面にシュテファン寺院が照明と共に白く輝き、美しいその姿を見せていた。本当にすばらしい時間だった。


6日目
朝、早めに朝食。いつものようなビュッフェ。どこも同じようなもの。今日は昨日の日本人達はいなかった。そこから今日は中央墓地へゆく予定だ。ここはシューベルトやブラームスなど有名な音楽家のお墓が有り、ヨーロッパでも非常に大きな墓地である。ホテルから目の前の電車の通るリンクの横断歩道を渡ると目の前にインペリアルホテルがあり、その門前に白いマセラティグランツーリスモが停まっていた。実は僕のと同じだったので、その前で写真を撮った。そこから、南方向に歩き、電車の停留所がすぐにあったので、そこで電車を待った。日本人の僕たちと同世代の夫婦が同じように待っていた。彼らは次に来た電車に乗り、先に行ってしまった。僕たちは中央墓地に止まる電車に乗り、南に走った。
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 墓地はとても広く、オーストリアで活躍した著明な音楽家が埋葬されている名誉区32A墓地は二つ目の停留所で降りた。そこから門を入っていったが、とにかく広い。歩いて行くと突き当たりに、教会があり、その手前に名誉区32Aがあった。とても立派な墓で、それぞれいろいろな形をしていてユニークなものもあった。石の形を生かしたものから、彫像に近いものまでいろいろあり、見て楽しめた。このようなお墓は未来に繋がる。
 代表的なものはベートーベン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世などを見ることができた。彫刻や大きな石が中心に造られていて、たくさんの人たちがお参りするのだろう、花がきれいに保たれていた。そのほか、夫婦が抱き合ったような優美な形のものから、自然石のそのままのものなど趣があった。このような墓のスタイルはとても良いなと思った。まさ反対側には大きな長方形のものや屋根を形成しているものなど様々で、日本で言う「・・家」のような家族墓がずらりと並んでいた。大変大きな石で造られていて、その屋根の石を持ち上げるのに大きな鉄の輪が付けられていた。新しくなくなった人をその墓に入れるために持ち上げて、上から亡骸を下ろすのだそう。重なっていくのだ。なるほど。次第に窮屈になるだろうね。教会まで行って中を見た。きれいな教会だった。水が所々で撒かれていた。管理がきちんとなされていた。そこからまた歩いて、電車で帰ってきた。途中、左方向にザンクト・マルクス墓地があることを知っていたのだが、ここには本当にモーツァルトが埋葬されているかどうかわからないということだったので、スルーした。モーツァルトは1791年12月5日に、だれにも見送られずにひっそりと埋葬されたそうで、この地にある墓は推定されたものらしく、一説によると頭部がないといわれている。最後は悲しくはかない終わり方だったのだ。そのまま電車に揺られ、ベルベデーレ宮殿が見えたので、ああ「これはベルベデーレ宮殿だ」と言ったら、座っている女性が左方向に指さして「あっちですよ」と教えてくれた。僕はにっこり笑って「ダンケシェーン」と言った。一度ホテルに帰り、ケルントナー通りを歩き、すぐ次の通りを左に入ったところですぐ左手にアウガルテンの店があった。これはあらかじめ調べておいたのですぐにわかった。実は王室御用達アウガルテンの老舗磁器工房がウイーンの北数キロのところにあり、行ってみたかったが余裕がなかったので、中心部の店に行くことにした。すてきな色、上品な形の磁器が並べられていて、どれも素晴らしいものだったが、紫の小さな花が描かれているお皿を2枚買った。日本で買うより安いがそれでも高価だった。随分前に百貨店でピンクのバラのコーヒーカップセットを買っていたが、それがとてもすてきだった。しかし、もう売られなくなっていて残念な思いをしていたが、ここで買えて良かった。夕食はMedusa Restaurant & Club で野菜サラダとトリフのリゾットを食べた。これがとても美味しかった。こちらに来て初めてこのような美味しい夕食を食べることができた。ここは地中海料理という看板だが、イタリア料理でもあり、ここは本当に良かった。また、フンデルトヴァッサー・ハウス(Hundertwasserhaus)を見たかったが、時間がなくなったこともあり、何となくあきらめてしまった。フンデルトヴァッサー(1928-2000)は自然と人間の共生をテーマに、曲線を多用した色彩豊かな建築を設計したことで知られている。「直線は自然のものではありえない」と考えていた人だ。
 夜、国立オペラ座でモーツァルト楽団による音楽祭を聴きに行った。昼に街を歩いていると楽団員の姿をした販売員がコンサートチケットを売り歩いていた。その前にOさんからコンサートに行くのならチケットを用意しますと言われていたので、前日に頼んでいた。今日の朝、奥様と一緒にホテルにチケットを持ってきていただいた。奥様は僕たちが思っていたより若かったので、驚かれていた。とりあえず念のため用意していた、上着とネクタイを締め、7時に国立オペラ座へ。

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すぐだ。中に入ると中世のドレスを着た着飾った美しい女性達が対応してくれた。中の様子はすばらしく非常に格式があり重厚だった。天井なども非常に緻密に計算された美しさを感じた。これを見るだけでも素晴らしかった。休憩室に当たるところでワインなど少し飲み、サイドの3階の個室に入った。もう一組、中年のカップルが入った。舞台は近く、よく見える。1階の座席にもたくさんの人たちが見え、日本人もいた。このコンサートは観光客用に設定されたもので、本式のものではないものの演奏もオペラもなかなか本格的なものでとても楽しめた。初心者用という感じでわかりやすく、有名な曲ばかりだったので、僕たちのような素人には良かったのだろう。雰囲気を経験するだけでも本当に価値がある気がした。とても良い経験をしたと思う。

7日目
朝早く起き、一番に朝食を摂り、外に出て、少し時間があるので最後の日の観光をすることにした。ホテルから真南に向かう道路を進み、さらに右方向に行くと、クリムトの分離派の活動拠点として造られたアートギャラリー、分離派会館を見た。屋根が自然をモチーフにした金細工の葉っぱが並んで造られていて、金色のキャベツの愛称で知られている。おもしろい。そこからすぐにカールス広場まで戻り、その中のオットーワーグナー・バヴィリオン・カールスプラッツを見に行った。市営地下鉄の駅として造られたが、現在は博物館とカフェになっている。中に入る時間がなかったので、外から見るだけにした。続いてカールス教会を見た。バロック建築のすばらしい建築物だった。すぐ前に大きな丸い池があり、時間がなくなり、大急ぎで池の周りを回ってホテルに帰った。Oさんが来てくれていて、そのままウイーン空港に行き、免税手続きをして、フランクフルトに帰り、そのまま乗り継いで関空へ。大阪は暑かったし、街はどう見ても美しくはなかった。ちょっと悲しかった。 (終わり)

食事について
オーストリアははっきり言って食事は今ひとつだ。種類が少ない。
和食レストランも要注意だ。中国人や韓国人が経営しているレストランがとても多く、全然美味しくない。

まだ見ておきたいところがたくさんあった。アウガルテン、市立公園、ウイーンの森のハイリンゲンシュタットなど。また行きたい。
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