旅行



イタリア・ドロミテ
ドロミテ ベローナ ベネチア
1日目
 夜。今年は初めて前日に関空に泊った。ホテル日航には我が家の2匹の犬とできるだけ長くいようと、7時半の岡山出発の新幹線で関空に向かい、9時半ごろついた。夕食は岡山駅で済ませた。空港に近いというかほとんど同じ建物という感じでなかなかきれいなホテルではあった。早めに休み、朝6時に起き、レストランで朝食。これが意外に美味しかった。日本食が人気があるようで、多くの乗務員が出入りしていた。7時半にロビーでガイドのN子さんとお会いした。今回は全て旅行の案内をしていただくことになった方である。一緒にルフトハンザ航空のチェックインをして、僕たちは北ウイングにモノレールで行き、10時10分発の747に乗り込んだ。しかし、中国と韓国の上空を飛ぶのに許可が必要とのことで手間取り、10時50分頃ようやく出発した。これが後で、困ることになった。座席は真ん中、2週間前にフィンランド航空からルフトハンザ航空に変更したため、N子さんが関空で隣の席を調整してくれた。 快適な旅、ほとんど揺れず。今回は空でも頭が痛くならず。「日本の一番長い日」を見た。美智子は夕方の和食がなく、パスタを仕方なく食べたが、残していた。日本人客が多く、和食がなくなるリスクがある。 時 分に着いたが、かなり遅れていて、入国審査に時間がかかった。ぎりぎりとなり先に行かせてもらってなんとかベネチア行きの飛行機にぎりぎり間に合った。ここはもちろんエコノミーだったが、窓際の席でベネチア空港におりるときにベネチアが窓からしっかり見えた。美しかった。周囲は浅い海が連なり、水はエメラルドグリーンというよりはグリーンだった。きれいではなかった。 降りるとすぐにSさんが迎えに来てくれていた。ベネチア空港でパニーニのようなピザパンを2種類と水を買い、ホテルに向かった。

マルガリタホテル

 約30分でホテルに到着。Romantik Hotel Villa Margherita Mira。別荘だったところをホテルに改装したところで美しいヨーロッパらしい庭と古典的で優雅なロビーを持ったホテルだった。部屋はレストランのすぐ隣で101号室。窓からは美しい庭とポプラの並木が見えた。すぐにとても気に入った。黒川さんからはベネチアではちょっと泊るだけだからと聞いていたので日本的なビジネスホテルだろうと思っていた。いままでも着いた日はだいたいそうだったと思う。しかし、ここはとてもすてきだ。壁画は極めて美しく、家財道具も歴史を感じてすばらしい。妻は疲れていたが、部屋など見ているうちに少し疲れが取れたらしく、広大な庭を散歩する気になったようで、二人で散策した。ピンクの夾竹桃の並木がありさわやかな壁を作っていた。  夾竹桃の向こう側には川があった。流れはゆったりとしていて、水はあまりきれいではなかった。後で聞いたものだが、それは運河であり、その向こうに学校のような施設があり、子どもたちの声が聞こえていた。
 ポプラ並木の根元まで歩いて行った。ポプラというのは根元からも枝がたくさん伸びていて不思議な感じがした。
 80センチくらいの自動草刈器が行ったり来たりしていた。一見、自動車のおもちゃのようで子どもたちが追いかけ回すのではないかと思った。

2日目

マルガリタホテル

朝6時起床。外は晴れ。窓から見えるレストランテラスと庭がとてもきれいだった。朝食は7時から。レストランは隣。テラスで朝食。涼しかった。僕たちとTさんだけ。東の背の高い樹木の境目から朝日が差し込んできた。美しい風景と優しいさらさらっとした風。レストランから正面に芝生とポプラが見え、正面のみきれいに草を刈っていた。この風景を意識して作っていたことがわかった。朝食は特別なものではなく、パンとチーズ、ハム、ヨーグルトを皿いっぱいにとって食べた。おいしかったが普通。雰囲気は最高。
 9時ハイヤーが迎えに来ていた。ドロミテのガイドさん、とてもとても明るく楽しいSさんととてもユーモラスは運転手さんが来ていた。皆で写真を撮った。ベンツのワゴンに乗り込む。すぐ前に川があり、パドバまでの観光船が走っているそうな。どう見ても普通の大きさの川だったが。メストレ駅を通り過ぎた。ここは以前通ったことがある。電車で。そのまま高速に乗り、北に向かう。トレント、ボルツァーノを通らないコースで、かなり飛ばしている。高速道路の最高速度は130km/hということであった。ほとんど一番左側車線、追い越し車線を走った。どうも前の車をあおっている。ほとんど140km/h位で走った。
 ほとんどがドイツ車で、イタリア車は少ない。イタリアでもドイツは車を売りまくっているのだ。前に来たときよりもドイツ車が多い気がする。燃費操作のフォルクスワーゲンは少なかった気がする。そういえばヨーロッパに来てハイヤーに何回か乗ったが、ほとんどベンツだった。ニースではプジョーだった。2時間ほどでコルティナ・ダンベッツィオを通り抜けた。東のドロミテ観光の起点になっているところで冬はスキーで観光客がいっぱいになるところだという。非常に地価が高いところだそう。中央に教会の塔が見えた。雰囲気がある。
 ここは通り抜けてミズリーナ湖へ。
mialina

 ミズリーナ湖はとても美しい湖で北にトレ・チーメという山塊を従えてすばらしい景観を形成していた。多くの人々で賑わっていた。ボートも浮かび、日本の蓼科湖のような感じであるがとにかくお天気も良かったせいもあるが、明るい。湖の畔のレストランでパスタを食べた。混んでいたが、比較的すぐに来た。ミズリーナ湖は右側に見える。まあまあの味。湖畔の南側を少し歩いた。ボート乗り場があり、乗ってみたかったが、時間がない。北側にそびえるソラピスSorapis( 3214m)が悠然と湖面に映っていた。横長で迫力あり。ここで写真。北側に黄色の美しい建物があり、ホテルのように見えたが、アレルギーの施設、病院だそうだ。素晴らしい環境である。ヨーロッパに何回か来たが初めて医療機関を見た気がする。ここはすてきで僕もこんなところで仕事がしてみたいと感じた。実際、医療機関は少ないのだが、あまり見かけることがないのは看板が少ないためだろうか。
mialina

 この建物側からソラピスに向かう遊歩道があるということだが、時間がなく割愛。
 そこから北に向かって進んだ。登りである。ミズリーナ湖が見えなくなってすぐに右側に小さな湖が見えた。アントルノ湖(Lago Antorno)。ここもきれいだったが、通り過ぎ、ぐんぐんと高度を上げ、アウロンゾ小屋 Rifugio Auronzo に到着。車がいっぱい停まっていた。避難所とか山小屋という意味だ。ここで車を降り、いよいよトレ・チーメを目指す。トレ・チーメとは三つの頂きという意味らしい。というかすぐ左側にどーんとそびえているがいただきは一つしか見えない。ミズリーナ湖からは2つ見えた。圧倒的迫力。山小屋の横を抜けると右側に山と谷、その奥にエメラルドグリーンの湖が見える。Lago di Santa Cateria という湖のよう。

trecime

 山道をぼつぼつ歩く。靴は山岳用。クリスプというイタリア製のハイキング用。中山靴店で昨年スイスへ行くために足方をとり、底敷を作ってもらったもので威力が出る。平坦なところが多いが、石がごつごつしているところも多く油断できず歩いた。壮大な風景が少しずつ変わり、左側のトレ・チーメの表情もどんどん変わってくる。本当にすごい。断崖絶壁が続く。その断崖を登っている人達がいる。クライマー達は同じ人間とは思えない。ガイドのSさんはこのドロミテの山々を少なくとも400回以上登っているという。垂直の断崖を”サクサク”登るという。ちょっときついところは”ガリガリ”登るという。これは相当きついらしい。ガリガリ君だ。
 一つ目の岩山を過ぎると、2つめが見えてきた。ここにRifugio Lavaredo という避難所があった。ここから少しずつ登り、トレ・チーメの端まで来て、向こう側の景色を見た。
trecime

 頂も3つ見えるが、小さいものが2つあった。まあこれは許せる。有無を言わせぬ光景。そこで写真を撮り、これ以上は無理と考え、帰ることにした。帰りは少し断崖に近い道を通ったが、すざまじい断崖が迫るところで道も下りだったが険しく、ひやひやしながら降りた。妻はひやひやしながらそれでもがんばった。ようやくR.アウロンゾまで帰り、待ってくれていた車に乗り、アントルノ湖を過ぎたところで右に曲がり、北に向かう。しばらく谷の底を走った。チロルの風景がとても素敵だった。サン・カンディドのホテルPostに着いた。小振りなホテルだったが、内装は新しく改装したばかりのようだった。きれいな部屋でベッドの上の窓から峻厳なのこぎりの刃を思わせる山が見えた。ドロミテの東の端にあるバランチという山らしい。すばらしい。もっと窓を大きくしたらいいのにと思った。山頂に向かうロープウエイが見えた。麓は緑が大変美しくチロル地方の特徴を持っていた。Tさんが風呂場をチェックしていて、バスタブがないことに気づき、フロントに行って尋ねてくれたが、バスタブのある部屋はないようだ。多分角部屋で北のバランチが見える部屋なので納得した。ただ今までバスタブのない部屋に泊まったことがなかったので少々がっかり。まあいいか。
 TさんとSさんは隣町のドッピアーコに、さらにもう一つ隣町のホテルに泊まるということで運転手さんに送ってもらって帰って行った。ちょっと休んでから街に出てみた。

trecime

街中に飾られている花々がとてもきれい。さっきのバランチもすばらしい。小振りな教会があり、落ち着いたチロルの街だった。お店は少なく、大したものはなかった。ホテルに帰り、レストランに行った。プリモ・ピアットと同じくセコンド・ピアット3種類からひとつを選ぶことになっていた。僕はハウスワイン、妻はビールを飲み、パスタを食べた。お隣のテーブルにイタリア人のカップルが同じような食事をしていた。ここは食事を選ぶのだ。明日の夕食のメニューがすでに来ていたが、ガイドさんに聞こうと思い、後で決めたいといったら、ウエイターさんがにやりと笑った。連泊の場合あらかじめ決めておけば明日は早いとか用意が簡単とかあるのだろう。
 ユニークな料理という感じだったが、おいしかった。おなかがいっぱいになり、部屋に帰った。バスタブのないシャワールームでシャワーを浴びた。半分ガラスがはめられていたが、シャワーで湯が飛び散り、湯が床に飛び出てきた。設計が良くなかった。日本式が良いね。日本に来た外国人はバスタブがウオータープルーフだという。これはおもしろい。
 

3日目
sancandid

朝起きたらすばらしいお天気だった。実は昨日夜、すごい雨音がしていた。ああこれは明日は雨だな、やっぱり雨も降るよね、と半ばあきらめてまた眠った。しかし、窓からすばらしいバランチ(Baranci)山がくっきりと見えた。下の方には少し雲がかかっていたが、次第に晴れ上がってきた。麓のスキー場やリフトもよく見えるようになってきた。とても嬉しい。
これだけでもここは素敵。用意をして朝食を食べにレストランへ。まだ誰も来ていなかった。早すぎるのか、入り口近くではまだ従業員が掃除をしていた。席は決まっていて、通りに面したところから少し段が下がったところにあった。名札が描いてあり、「Mr.Sinoo」と書いてあった。ジュースはあったが、にんじんやトマト、野菜が大きく切ってあり、後から来たイタリア人のご婦人がジュースを機械で造っていた。いろいろな果物や野菜を絞るのだ。僕たちも作ってみたらとてもおいしかった。後はそれほど変わらず、ハム、チーズ、果物、ヨーグルト、鮭などを食べた。まあまあだ。パンはおいしかった。
sancandid

 9時頃ロビーに降りたらもうSさんが来ていた。続いて運転手さんも来た。小振りな教会が花に囲まれていた。朝の光の中で、本当に幸せそうなさわやかできれいな街と感じる。いいね。車に乗り込んでドッピアーコという街を通り抜け、隣町の駅近くのホテルにTさんを迎えに行った。どこもかわいい街。ドッピアーコは運転手さんが住んでいる街。そこから南に向かった。途中右手にドッピアーコ湖が見えた。結構大きい湖で周辺は遊歩道が整備されている。自転車で走る人が多い。ちゃんと自転車道が整備されている。イタリアもフランスも自転車大国である。

sancandid

道路から左側に公園があり、そこに車を停め、少し歩くと素晴らしい山並みが見えた。この山が何という名前かいまだにわからない。Sさんに聞いておかないといけない。素晴らしい峻厳な山並みで写真を撮ることに出来るステージも用意されていた。そこで何枚かの写真を撮った。本当に美しい景色だった。
木木にかこまれて長い道が山の方に向かっていた。空も真っ青、フィトンチッドがあふれて空気がとても新鮮できれい。その道をずーっと歩いて山の方に進んでみたかった。気温もちょうど良く素晴らしい時間だった。しかし、ゆっくりしている時間はないようで、待ってくれていた自動車に乗り込み、次の目的地に向かった。

ここを通り過ぎ、コルティナ・ダンベッツィオ(Cortina d'Ampezzo)に向かった。
Cortina d'Ampezzo

 コルティナ・ダンペッツォは1956年に冬季オリンピックが開催されたところで、ヨーロッパ屈指の山岳リゾートとして冬はスキー、夏は避暑地として賑わっているところだという。街の中を通り過ぎながら、ここの中心部のマンションはm2あたり250万円以上といわれる超高級避暑地であることを聞いた。半端ない大金持ちが所有しているところだそう。小振りでかわいい街という印象だったが。周囲は雄大な岩山で囲まれている。この街からすぐに周囲の山にロープウエイで登れるという。ドロミテに来る人たちはここにメインに泊まるということだった。僕の友人もここに泊まったらしい。街の南側の山を登り始めた。ぐんぐんと高度を上げ、細い道に入った。なんだかずいぶん廃れたカフェの駐車場に車は止まった。pocol というところ。そこから見るコルティナ・ダンベッツィオは格別だった。北にトファーナ山、東にクリスタッロ山、北西にポマガニヨン、山に囲まれた素敵な街。夏は避暑地として冬はスキーのメッカとして非常に優れた観光地である。ふと気がつくと駐車場の横にロープウエイの駅がかつてあったらしく、現在は壊れて機能していない。こんなに有名なところでも経営がうまくいかないのかと不思議だった。そしてそのカフェはとても暇そうだった。その場所から少し登り、谷を降りると広い駐車場がありたくさんの車が止まっていた。
 その場所にはリフトがあり、4分ほどで山の中腹に登れるのだ。4人乗りのリフトはぐんぐん高度を上げ、視界がどんどん変わっていった。終点は岩山に囲まれた広大な自然の庭だった。何とも言えない不思議な山。チンクエ・トーリ(Cinque Torri)という5つの峯が足の指のようになっている岩山があるのだ。

bries

指は突っ立っている(Nuvolau 2534m)。すごい。涼しいが寒くはない。
 すばらしく雄大な高山の景色。目の前には巨大な山塊、トファーナ山(Le Tofane 3244m)が見える。周囲の峻厳な山々に囲まれ緑と巨大な岩が独特の雰囲気を醸しだしていた。あまり見たことのない風景だったが、全く違うのだが、なぜか日本の北アルプスの三俣蓮華岳を思い出した。お天気も良く、寒くもなく、空も青く、花もたくさん見られ、ハイキングをしてる感覚である。しかし、ここにはオーストリアとの戦いで塹壕が築かれていた。そのまま残されていたが、大変だったろう。こんなに高いところに武器を持ってきて、寒く、食料も不安な中で本当に厳しい状況だったと思われる。トファーナ山の反対側には平らな山が広がっていて、端がどんと落ちていた。このような景色もあまり見ることがなかった。
 ぐるぐると登ったり降りたりして散策。リフトのところまで戻り、そにあるレストランでパスタを注文。さわやかな風が流れ込んできて、心地よく食事をした。名残惜しかったが、リフトで降り、その地からボルドイ峠(Passo Pordoi 2239m)に向かった。ここは非常に高いところまでロープウエイで上がることができる。ポルドイ峠の駐車場にはたくさんの車が止まっていたが、Sさんはそれでも多くないといって、ロープウエイ乗り場に入った。普通なら長蛇の列となっているらしい。ラッキーだ。そのまますぐにロープウエイに乗り込み4分ほどで Sas de Pordoi 2950m に到着。ここにはリストランテもあり、広く平坦なところもあり、多くの人達が景色を楽しんでいた。反対側の雄大な姿を見せているのが、ドロミテで最も高いマルモラーダ山 Marmorada 3343mである。3414m、雪が少し見える。ここへもロープウエイが登っているのが見えた。避難所にあるリストランテ、サッソ・マリアに少し立ち寄ろうとしたが時間がなく、壁際に北側の方向に歩いてみると雪が残っていた。さらさらした雪だった。マルモラーダ山の反対側はセッラ山の一部で谷を挟んで広大な高地が連なり、これもまた壮大な景色をなしていた。その位置からいったん北の方に谷を右に見ながら歩いた。セッラ山(3152m)頂上 Piz Boe へ向かう道である。もちろんそんな遠くまでは行けないのだが、またマルモラーダの方角へ谷に沿って歩く。その谷は断崖であり、多分に800m以上はあると思う。奈落のような谷を時々のぞき込みぞくぞくしながら歩いて先端近くまで行き、Sさんに写真を撮ってもらった。たくさんの人達が雄大な景色を楽しみながらいろいろな方向に歩いていた。犬も散歩するように歩いていた。もちろん山に沿って道はあるのだが。ひとしきり高い山の空気を充分に吸い込んだ後、ロープウエイで降りた。待っていてくれた車に乗り込み、そのまま山塊の回りをぐるりと回るコースを走った。断崖のすぐ横をぐるぐると車が走り、景色に感激・興奮の連続。続いてセッラ山とサッソルンゴ山(Sassolungo 3181m) の境のセラ峠を越し、その先のガルデナ峠(Passo Gardena 2121)で車を降りた。

bries

花々にかこまれた細い山道を登り小さな高台に上がって、セッラ山とサッソルンゴ山、背景にある Pizes da Chier この山塊群は天に飛び出しそうな雰囲気で並んでいる。まさに大きな上を向いたのこぎりのように激しくとんがっていた。キリキリ感がすごかった。しばらく山の空気を楽しんだ後、そのままサン・カンディドへ帰った。ホテルに帰ってから、少し休んで街に繰り出した。工芸品やおもちゃなどの素敵な店もあり、地下に化石の陳列している場所があり、アンモナイトとかいろいろな化石が売られていた。ドロミテには化石がたくさん発掘されているそうだ。買おうか買うまいかかなり悩んだが、多分引き出しの中に放置されるので止めた。
そのまま歩き回ったが、ほしいものがなかったので、止めてホテルに戻り、夕食を食べた。昨夜と同じようにプリモピアットとセコンドピアットを選んで、食べた。なかなかおいしかった。 お隣のイタリア人のカップルとまた隣になり、これは席が決まっていたのだが、帰りがけに日本に来たことある?と聞いたら行ったことないといったので是非来てねといって席を立った。 シャワーの水は相変わらず床にはじけた。まあご愛敬。

4日目
 朝、明かりがしっかり入ってきて外を見たらバランチがきれいに見えたが、麓のエリアは霧に包まれていた。これはこれでとてもきれいだ。空は真っ青。今日も良い天気のよう。朝食は同じようなものだが、今回はジュースを絞って飲んだ。これはおいしい。トマトやにんじんが大きく切ってあるのはそのためとわかった。
 9時前にチェックアウトし、ホールで待っていたらSさんと運転手さんが来た。運転手さんはトニーさんの息子らしい。
 そのまま、サン・カンデドを出た。ドッピアーコを越え、東に進んだ。途中から南に向かい、すぐに山の写真を撮るとても良いところがあると言うことでそこに立ち寄る。とにかく山がきれいだった。その場所で写真を撮り、そのまましばらく走って湖の駐車場に止まった。朝まだ早かったが、もうすでにいっぱいになっていた。ここがブライエス湖(l.Braies)の駐車場だった。水が流れ出しているところから右手に歩みを進めた。まだ人は多く歩いていない。実はこれは周り方が反対方向なのだという。Sさんは疲れたら半分の行程で済ましても良いと考えていたようだった。1周で2時間弱かかるという。本当に美しい湖だ。透明感が際立っていて、底がよく見える。遠くから見ると光でエメラルドグリーンだったり、濃紺だったりする。小さい砂浜がありそこで水遊びをしている子どもたちもいた。目の前にベッコ山(Beco)がそびえていて日本でもこのような風景があった気がした。ゆっくりと少しずつ光とともに変わっていく景色を楽しんだ。中間点に小さな砂浜があり、子どもたちや若者が水遊びをしていた。ベンチにはカップルが座って湖を眺めていた。

bries

人は増えてきたが、静謐で清らかな世界だ。スタート地点から反対側を越えると道が細く、登りになっていった。湖の水が濃くなっていく。しばらく行くと山の中腹から水が流れ落ちていた。静かな世界の中で水の落ちる音がさわやかに響き渡っていた。この水はとても透明。このあたりが日本の流れ落ちる滝、水と違う感じ。底の色が白いのだ。そういえばコモ湖のアルジーニョに行ったとき、山からコモ湖の流れ込んでいる水が同じ色をしていた。記念に3つ小さくてきれいな白い石を持って帰った。
 そこから上り下りの細い道を湖面とベッコ山を見ながら歩いた。反対側からどんどん人が増え渋滞の感があった。数隻の湖面にボートがたたずんでいた。どんどん歩いてベッコ山を真っ正面から見える位置に来たが、楕円形ではなくて細く奥に湖が広がっていて大きく回って歩いた。両側にある山も高くそびえ本当に谷の状態になった湖だった。ようやく歩いて出口に向かった。1周して流れ出る水達をしっかりと目に焼き付けた。外のお店がありトイレを借りた。妻とふたりで1ユーロ置いてきた。
 そこからポルツァーノに向かった。しばらく走ると、ポルツァーノの街に入った。ゲーテがブレンナー峠を越えて一番最初に入った街である。ゆったりとしてかわいいという印象。ここはドロミテの西の端に位置するチロルの街。BSテレビで「路面電車の旅」でポルツァーノをしていた。路面電車にも乗ってみたかったが、時間もなくポルツァーノの街を歩いた。雰囲気があってきれい。バロッキア広場に出て、ドゥオーモ・ディ・ボルザーノ(Duomo di Bolzano) を見た。すばらしい建築物である。


bolzano laurin

 そこから右方向へ細い通りを入り広場から3分ほど歩いて右側に PARK RESTAURANT LAURIN というホテルにあるリストランテに入った。なんというすばらしい庭園なのだろう。リストランテの真ん中に巨大な樹が柱のように建っていてそこを中心に大きなテントが張られていた。外側にも大きな樹木が生い茂り花がそこかしこにあり、ゆったりとしたテーブルがあり、噴水があり、その奥は緑の森があった。左奥にホテルの建物があった。パスタと野菜、リゾットを注文。おいしく空気もきれいで緑の中でゆったりと食事を楽しんだ。風が気持ちよく、最高の環境。雀が数羽近づいては離れ、落ちたパンなど食べていた。隣のいすの背もたれに留まり、一瞬目があった気がした。写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。食後にホテルの中のトイレに行った。中はかなり古い趣のある建物だった。ここは良い。巨大な木が何本もあった。庭を散策して外に出て、そこからまた広場に帰り、運転手さんを待ち車に乗り込んだ。一路、ベローナに向かう。
 今日は聖誕祭なので非常に混むことが予想されたので、急いで向かったという感じだった。高速もかなりスピードが出ていた。140km/h 以上のスピードで走っていたようだ。途中、ゲーテが泊まったトレントもあっという間に通り抜けた。細長いオレンジ色の小さな街という感じだった。このあたりは完全な谷間である。氷河が大きく山を削っているのだ。右側にあるはずのガルダ湖が見えることはなかった。かなり高い山が間にあるから。どんどん進み途中で風力発電のフィンが4個見えた。ほとんど渋滞にかかることがなく、一気に高速を降り、ベローナに着いた。アナスタシア教会という大きな教会の隣のホテル。かなり古い建物で由緒のあるホテルのようだ。ゲーテやモーツァルト、ワーグナーが泊ったことがあるホテルだという。ロビーが非常に歴史を感じさせる壁画があり、大変豪華だった。格式がすごい。部屋に入るとさらにそれを実感した。目の前の景色はオレンジの壁と屋根。浴室はそれほど広くなかったが、真新しい便器とビデがあった。どうせビデを新調するなら日本のシャワートイレを見に来て付ければ良いのに、と思った。イタリアというのはあまりどんどん新しい物を入れるという感覚はない。ベローナに泊ることにしたのは2週間前だったので、古くてきれいなところでラッキー。少し休んでから街を散策することにした。
 すぐ横に大きな教会、そのすぐ横の道をアディジェ川を見て、山の上に大好きな糸杉が無造作に空に向かって突きあがっている建物があり、川とその建物と糸杉をバックに写真を撮った。そこから川に沿って少し歩き、街の中に入ってアレーナを目指した。かなり大回りになり、大変古い教会、サン・フェルモ・マッジョーレ教会(S.Fermo Maggiore)の横を通り、正面に城壁が見えてきて、市役所の横を通り、ようやく右手にアレーナが見えてきた。すごい。1世紀頃造られた建物で、現在は6月から8月にオペラを開催していて、世界中からファンが来ているという。迫力ある構造、舞台装置に使う道具が周囲に置かれていてこれがまたすごかった。もうかなり疲れてきて、町並みを見ながら通りを歩いてホテルに帰った。夕食はTさんとホテルで紹介されたリストランテ(SARABANDA))へ。歩いてすぐのところ。カメリエーレがおもしろい人でいろいろ言っていた。結局、野菜サラダ、パスタ、リゾットなど食べたので、組み合わせのバリエーションは少ないが、少しずつ違っておもしろい。納得。そのままホテルに帰り、就寝。(続く)

5日め
 朝の光を感じて目が覚めた。外は快晴、すぐ目の前にはオレンジ色の瓦屋根が並び、さわやかな朝。朝食は1階のレストラン。外はまだ人通りも少ない。いつも食べているようなものだったが、ヨーグルトがとても大きく、なかなかおいしかった。今回も一番にレストランに来たが、少しして日本人の夫婦が来た。9時にFさんと運転手さんが来て、Tさんと一緒に出かけた。古めかしい町中を通り抜け、高速に入り、20分ほどでシルミオーネ(Sirmione)に入った。
 シルミオーネはガルダ湖の突き出たシルミオーネ岬の突端に位置する街で、両側にきれいな家々が並び、それがホテルの建物に成り、終点は正面にお城が見えた。車を降り、ロミオとジュリエットで有名なスカラ家のお城に向かって歩いた。その向こう側には海のようなガルダ湖が見えた。すぐに城の門をくぐり抜け、右方の湖に向かい湖面を見た。

sirmione

風が強く海のような波がぶつかっていた。城壁の内側にも水路があり、当時の壮絶な意志が覗き見えた。城壁に紋章があり、城壁のトップの煉瓦の構成が二股に分かれていてこれはベネチア国派ではないという表現だったということだった。皇帝派を示す形で対する教皇派に対応する表現である。例の「ロミオとジュリエット」は皇帝派モンタギュー家のロミオとと教皇派キャピュレット家のジュリエットの話である。ここは皇帝派のヴェローナの領主、スカラ家の城である。


sirmione

 左に折れ、街の中に入った。中心部を歩いていると、僕の大好きなブーゲンビリアの花と樹に囲まれた家が2軒あった。一つは家にとりついているようにも守っているようにも見えた。これでは2階の窓など開けることができないかも。鋭い棘がいっぱいある植物だから。そして道を越えて隣の家までその手を伸ばしていた。このブーゲンビリアは少しピークを過ぎていたが、ピンクがさらさらしてとても美しかった。ゆっくり歩いていると左側にterme 温泉があった。療養が目的の人たちもたくさんいるそうだ。BSの番組でも見ていた。ここには入らず、すぐ隣に黄色の立派な邸宅があった。


sirmione

これがマリア・カラスの邸宅だったところである。マリア・カラスのご主人が建て、その後カラスとご主人が亡くなった後、介護していた看護師さんが相続したが、費用がかかりすぎ、分割して売ろうとしたが、うまくいかず今は別の人の所有になり、今は記念館になっているという。
向かいには5ッ星のホテルがあった。糸杉がこれでもかこれでもかというほどあった。半島の先の方に行くとどんどん両側の湖が広々として見えてくる。右側に博物館があった。ここに入り、壁に書かれていた絵を見ることができた。色彩がとてもきれいでそのまま残っていた。とてもモダンなデザインで古代の人の感覚はすばらしいと感じた。
 その先にカトゥルスの遺跡があった。カトゥルスは古代ローマ時代の抒情詩人で、ベローナの裕福なヴァレリ家に生まれ、紀元前1世紀からこの一族がこの地に1万平方メートルに及ぶ壮大な別荘を造ったところからこの地に滞在し、シルミオーネの美しさを歌に残したという。遺跡巡りは青い空と湖に囲まれた土色の岩石からなる遺跡群が妙に調和して、興奮を抑えられなかった。一番端の海に向かって一つの部屋があったが、広い空間と窓があり、古いガラスがはめられていたいたという。信じられない思いだった。すばらしい風景を楽しんだのだろう。
 ゆっくりと歩いて紀元前1世紀の世界を少しだけ感じた。オリーブが連なって植えられていて、1匹の蝉が鳴いていた。じっじっと鳴いていた。ニースで聞いた鳴き声と同じだった。オリーブの木は低いので一生懸命その姿を探したが、見つけることができなかった。ここでもやはり1匹だった。遺跡からの帰り道にたくさんの夾竹桃が植えられていて、鮮やかな赤と濃いピンク、普通のピンク色とここでもまた湖の青とすばらしい調和を示していた。その先に遊覧船が花達の間から出てきた。半島の西側に浜があり、白い砂浜と岩石が調和して、その部分はエメラルドグリーンで本当に美しかった。若者達が次々に泳ぎに来ていた。楽しそうだった。
 そこからまた、シルミオーネの街を歩いたが、大変な人混みとなっていた。その中には日本人のツアーだろう団体客が連なって歩いていた。Sさんによるとここを2時間ほど見てベネチアに行くか、ミラノに行くかのツアーが多いとのこと。お店をいろいろ見ながら、真ん中あたりでジェラートを食べた。ナッツとヨーグルトのジェラート、おいしかった。その後、東の湖岸に港があり、そこからラツッィージャ(Lazise)に行くことにした。観光船を待っている間、次々の船が入っては出ていく。ラツィージャは定期船で30分くらい。ガルダ湖の西岸にある小さな街。僕は初めて聞いた名前だった。Fさんのお薦めの場所ということで任せることにしたのだ。待っている間に2匹の犬を連れたイタリア人のご夫妻に話しかけた。「何度も来ているの?」と聞かれたので、イタリア語でテルツォと言おうとしてテンスといってしまい、「何度も来ているのね。」と奥さん。まあいいかと考え、ベンゴダルジャポンといってにこにこした。「私たちも日本が好き、行ってみたい」とのことだった。「楽しんで」と次の船に乗り込んだ。その次の船が来て私たちは船の上に。後の方に乗り、湖を見た。進行方向の右側にカトゥルス遺跡が見えた。湖に飛び出しているという感じ。手前の浜でたくさんの人たちが水浴び、水遊びを楽しんでいた。反対側は北に向かって長い湖が伸びていて、端の方に老人の施設などがあるということだった。目の前に風力発電のファンが4個見えた。昨日ベローナに向かってきたとき、右側に見えたものだ。イタリア人は自然の景観を壊すと反対する人が多いという。

sirmione

 ラツィージャについた。湊の右側に古いお城があった。え、こんな小さな村にもきれいなお城があるんだ。ここは今は市役所になっているという。雰囲気のある石造りの建物。船を降りてすぐの港に面したレストラン(Ristrante Taverna da Dreste タベルナという名前)で目の前にその市役所を眺めながら風変わりな魚のリゾットを食べた(124ユーロ)。このレストランは姉妹が経営していて非常に愛想が悪いと聞いていたが、そのようなことはなかった。とても美味しかった。
 この小さな村を歩いた。とても賑やかで人もたくさんいた。街の中を歩くと鮮やかな色をしたイタリアらしい家々が並び、たくさんのきれいな花々、小振りのお店がたくさんあり、そのひとつに入った。木彫の子どもを抱いた母親の像を買った。ぐるりと回るとまたしても城壁が見えた。本当に素敵だ。湖を眺めることができ、両側の街の景観がずいぶん良いね。湖の姿も美しく、水もきれい、人々は水際で遊んでいて、水が戯れてくる。ああここに住んでみたいと思って妻に言うと、いつも言っているじゃないと一括。
 ガルダ湖の湖岸に沿って北にドライブ。山に入り急坂を上り、教会に着いた。アルビザーノ(Chisa di Albisano)教会である。ガイドのFさんがこの教会でコンサートを開いたことがあるという。Fさんはなんとヴェローナでのオペラで歌手をしていたという。ヴェローナのオペラは6月から8月まで開かれ、世界中からたくさんのファンが訪れる世界でも最も有名なオペラの一つである。彼女は20年続けて、年金がもらえるようになり辞めたそうだ。それにしても素晴らしい経歴で、ヴェローナでの歌手になることは非常に難しいのだ。僕は残念ながらオペラは見たことがないので、詳しいことはわからないが、とにかくすごいこと。
ここでバザーが開かれていた。僕はフクロウの工芸品とワイングラスを20ユーロを寄付していただいてきた。とてもきれいなものだった。この教会からのガルダ湖はまた違った姿を見せていた。気持ちの良い景色。そこから帰路についた。そのまま東に向かって山を下り、ベローナに帰った。


sirmione

そのままアディジェ川の東側の山に登り、カステル・サン・ピエトロの前に小さい広場があり、そこからベローナを見た。ここはホテルに着いた後、川岸を歩き、剣山のような糸杉がぎっしり植えられていたところである。ベローナを一望できた。本当にすばらしい景色だった。日が傾き、オレンジ色の光と古いイタリアンカラーの屋根、旧市街の町並み、所々にある、教会の鐘楼が見え、フィレンツェやベネチアなど同様の風景だが、やはりすばらしい。一本の糸杉に蝉が鳴いていた。ジッジッと地味に鳴いていた。ここでも一匹だけだった。運転手さんにこの蝉は何という蝉なのと聞いたら、蝉は蝉だよ、とのことであまり興味がないようだった。その後川を渡り、ホテルに着いた。
 少し休んで今度はすぐ近くにある、ロミオとジュリエットの館に出かけた。歩いてすぐだった。かなりの人たちが詰めかけ、建物の中のトンネルを通ったとき、壁には愛のことばが落書きされ、異常な雰囲気を味わえた。さすがに有名な場所だ。右にツタに覆われた建物と小さなベランダが見えた。人々が交代しながら写真を撮っていた。幸せそうだった。突き当たりに背の高い女性のブロンズ像があった。これがジュリエットの像である。右胸が金色にはげた感じになっていた。ここを触ると幸せになるという。順番に訪れた人が右胸を触って写真を撮っていた。僕も恥ずかしながら同じ姿勢で写真を撮った。反対側に世界中から愛の相談室のようなものがあって、ボランティアで世界中からお悩み相談の手紙が来るという。ポストもあった。その中で何人かの人たちがその国のことばでお返事するらしい。どうなのかな。ベランダにはあがることができたのだが、それほどの希望もなく、となりのお店でお友達へのお土産を買って外に出た。
シンヨリーな広場に立ち寄った。宮殿や裁判所といった建物が建ち、かつてはヴェローナの行政の中心だった。広場の中には、ダンテの像がある。 ダンテを、同じ皇帝派のヴェローナの領主、スカラ家がかくまった為に、ある時期、彼はヴェローナに滞在していたという。
ホテルに帰り、夕食はホテルの屋上にあるリストランテで食べることにした。ホテルのエレベーターでイタリア人らしい男性と4歳くらいのかわいい女の子と一緒になった。僕が屋上を押し手テ、どの階?と聞いたら男性がそれでOKといい、子供に向かって、「いち、に、さん、し」と言った。なんと彼は日本語がすこしでき、空手を習っているそうな。不思議な感じがしたが、日本のテレビの番組でも良くあるが、日本の空手は人気があるようだ。もうこのようなことは珍しくないのだ。屋上のリストランテは素晴らしい雰囲気だった。ベローナの街が一望できる。すでに日が落ちてあたりはオレンジ色の光に包まれている。街全体が少しずつ濃い朱色の色調となり、リストランテのこれもまたオレンジの照明で極めて美しい景観となった。この中で多分文字にすると同様だが、パスタと、野菜サラダ、肉類を注文、僕はワインを飲み、妻はビールを飲んだ。とても美味しく、また素晴らしい時間を過ごした。その後就寝。

6日目
 朝、カーテンを開けるとすてきな空が迎えてくれた。歴史を感じる屋根と壁、その上に青い空、おまけに飛行機雲。朝食はまた僕たちだけだった。
 朝食はやはり一番先だったが、後か同世代の日本人ご夫婦が来て座った。僕はいろいろなものを取りすぎて、ヨーグルトが食べられなかったので、返すことにした。入り口にいた背の高い美しい係の女性に「posso retrare quest? no ne posso mangiare quset.」と言ってみた。彼女はにこっと笑って、ヨーグルトを受け取ってくれた。果たして通じたのか。チップを2ユーロおいて部屋を出た。空は美しい青だった。
 チェックアウトした後、隣のアナスタシア教会に入ってみたが、ここは本当にすばらしい。ここは壁に描かれた絵も緻密で今まで見た中でもかなり上位に入る気がした。この教会については何も聞いていなかったのが、不思議な感じがした。
 ここから一路ベネチアに向かった。しっかり走ってメストレを越え、橋を渡り、サンタルチア駅の近くの公園に停車。ドロミテでガイドをしてくれたSさんが迎えに来てくれていた。彼女はここに住んでいるのだ。ここから水上タクシーで大運河を通っていく。ゆっくりと進む。風が気持ちが良い。ベネチアだ。やっぱり良いよね。リアルト橋を抜けて、じわじわ運河が広くなっていくアカデミア橋を通り抜けるとサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(Basilica di Santa Maria della Salute)が見えてくる。以前来たときはクーポラは修理中で見えなかった。嬉しい。アドリア海に出る手前で、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島(San Giorgio Maggiore)が見えてきて、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の塔が見えてきた。ほんとうにすばらしい。そう、ここにまた帰ってきたかったのだ。その直後、水上タクシーは左のホテルの桟橋に停まった。ここがホテル。アドリア海に面したホテル(Bauer Pallazzo)。かなり古そう。チェックインして、5階の部屋に上がると、斜め前にサルーテ教会が見えた。ああ嬉しい。ベランダからは角の次の部屋だったので、大運河もよく見える。残念ながらマッジョーレ島は見えなかったが、充分。何しろたった2週間前にベネチアに泊ることに決めたのだから。しばらくサルーテ教会を眺めた後、下におり、そのままベネチアを散策することに。サンマルコ広場を通り抜け、右にアドリア海とサン・ジョルジョ・マッジョーレ島と青いカバーを掛けたゴンドラ達を見ながらたくさんの人混みの中を歩いた。左に運河を渡るとき 溜息の橋(Ponte del Sospri) が見えた。以前来たときにはここを渡り、一生帰れない牢獄を見学した。

bolzano laurin

そのまま歩き、ホテルダニエリに入り、建築遺産になっているダニエリのロビーを見学した。これは荘厳な雰囲気を持つ格調の高いホールだった。ステンドガラス様の天井も素晴らしくきれいだった。これをホテルが持っているということが素晴らしい。見学だけして何となく居心地が悪くなったこともあったが、屋上にレストランがあるということでそこに行くことにした。リストランテ・ダニエリ・テラスへ。上がったとたん僕の待ち望んでいた景色が目に飛び込んできた。

bolzano laurin

 目の前にジョルジョ・マッジョーレ島、右にマリア・デッラ・サルーテ教会が見え、左の方にはリド島が、そしてエメラルドグリーンのアドリア海が広がっていた。多分僕の中でもトップクラスの景色だろう。空も真っ青だったので、本当に美しかった。そのテラス席でパスタ、野菜サラダなどを食べた。カメリエーレ達はみんな超ベテランという雰囲気で表情も素晴らしく、時折日本語を交えながら、料理の一部を混ぜてくれたり、さらに分けてくれたりした。悪い気はしない、さすがだ。プロの技という感じがした。そして、写真を撮りましょうと、すてきな景色を背景に写真を撮ってもらった。嬉しかったが、コストはかなり高かった。まあ仕方がないだろう。チップも15%近く払った。そこから一度ホテルに戻り、ベネチアの街を散策することにした。
 街は相変わらず賑わっていた。サン・マルコ広場(Piazza San Marco)の入る小さな道沿いにベネチアンガラスの店があり、そこで素敵なベネチアンガラスのワイングラスがあった。僕はベネチアンガラスのワイングラスが好きなのだが、かなり手が込んでおり、装飾も非常にきれいな作品だった。値段は2000ユーロで、これは無理。いわゆる消費税抜きで安くはなるが、無理。もうひとつ背の高いワイングラス、基部がきれいなグリーンでこれは100ユーロと安かったが、考えることにして、ほかのところをいろいろ回った。ベネチアンガラスの店や革製品、仮面などの店を見て回ったが、あまり興味を引く店はなかった。その中にひとつトリフの店があり、入ってみた。試食をさせてくれるので、試食してみたらおいしかったので、購入することに。そのとき男性の店員が「おれ、やくざ」といって腕にあるタトゥーを見せた。「えっ」と言って、「それはいわない方が良いよ。」と忠告した。おもしろい青年だったけど。
そこで先輩のO先生とW先生へのお土産にトリフを買った。リアルト橋まで歩き、写真を撮って、帰ってきた。最初はこのすぐそばのホテルに泊まる予定だったのだが、旅行業者の方に無理を言い、現在のところに変更してもらった。ここはこれで素敵なのだが。リアルト橋は大変賑わっていた。橋の上には店がいっぱい並んでいたが、見るべきものはなかった。
それからまたサンマルコ広場まで戻る途中で先ほど見た、ベネチアンガラスの店の隣に小さい同じような店があり、ここの小さなグリーンのワイングラスを見つけ気に入り、200ユーロで買った。娘にもお土産としてペンダントを買った。気に入ってくれるかどうかはわからない。そのすぐ隣がタックスフリーの事務所だったので、処理をしてもらった。
その後Tさんとロビーで会い、隣の運河の横にあるリストランテに入った。入ったとたんにすごい雨が降り始めた。そこでパスタ、リゾット、野菜サラダ、肉類など食べた。ワインはプロセッコというベネト州の特産ワインを飲んだ。このワインは発泡性のワインで辛口でおいしかった。
 食べ終わった頃には雨は止み、そのままホテルに帰った。その間にある小さな運河の水の高さが高くなっていた。階段になっているところが、一番上の段のところまで水が来て揺れていた。光を通して透明感があり、美しかった。満潮と重なったのか。冬のサンマルコ広場の洪水がよみがえってきた。

サルーテ教会

そのままホテルの部屋に帰った。浴室は古いが格調は高かった。ベランダに出るとサルーテ教会がオレンジ色の証明に淡く静かに染まっていて、本当にきれいだった。下には運河があり、まだ船が行き交っていた。

 夜景もすばらしい。サルーテ教会を見ながら、歯を磨いたりもう椅子に座ってぼーっとしていた。明日はいよいよ帰らなければならない。今回の旅は本当についていた気がする。お天気が素晴らしかったし、どこも本当に良かった。添乗員さんもガイドさんもみんなとても素晴らしかった。ボートの音が少し聞こえていた。波の音は聞こえない。涼しくなってきたので、部屋に入って帰る準備をすることにした。もう少し外にいても良かったかも。眠れるかなと思いながら眠りについた。

7日目

サルーテ教会

 朝、早めに目が覚めた。またベランダに出るとまたサルーテ教会が朝の光に美しく染まっていた。いすに腰掛けしばらくぼーっと見ていた。幸せな時間だった。光が輝き始めて、サルーテ教会はオレンジがかった白に染まってきた。ボート、バポレットがすでに走り回っている。7時に屋上のリストランテに。まだ職員が掃除をしていた。昨日の雨で広いベランダが水で濡れていて、椅子のシートも濡れていた。また一番早かった。お掃除をしている人たちは何とも言えない表情だった。多分迷惑だったのだろう。そのまま彼らの横を通り抜け、端の方の椅子に座ったら水が継ぎ目から出てきた。かなり降ったのだろう。しかし、ここもまたすばらしい景色が広がっていた。海に近い方の別のテーブルにつき朝食を摂った。お天気もすばらしく、青い空に青いアドリア海、オレンジのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島、リド島、白いサルーテ教会、そしてどうもおこぼれを狙っているカモメ。このカモメ君は少しずつ近づいて来たが、カメリエーレから目を離さないようにと注意されたので、気をつけた。すばらしい朝食を楽しみ、用意をしていよいよベネチアにお別れすることに。Sサンが来てくれていた。アドリア海に面したホテルの桟橋から水上タクシーで、ベネチア空港に向かった。水路の両側に杭が建っていて、この間を走る。反対方向の船もこの広くない水路を通るので、すれ違う度に大きく船が揺れた。途中、左側に大きな建物があり、病院ということだった。今回の旅で初めて病院を見た。日本のようにたくさん病院がないという気がしていた。ここに住んでいるSさんの話ではこの病院も閉鎖の動きがあったが、住民の反対でそれは中止となったという。にわかには信じがたい話だ。ベネチアですら人口が減っているというから不思議な気がした。観光客は多いのだが、住民は減り続けているという。
 波に揺られながら水上タクシーはベネチア空港の港に入った。そこから少し歩いて、空港内に入った。今新規工事中で少し大回りをした。そこで免税の封筒をポストに入れ、飛行機に乗り込み、ベネチアにさよならした。やはり寂しい。そのまま、フランクフルト空港へ。
 フランクフルト空港すこし時間があったので、ロロ・ピアーナの店に入ってみた。ピンクのジャケットを見つけ、妻が試着するとあまりにぴったりだったので、購入。かなり安く買えた。その後厳しい出国手続きを済ませ、B747にのり日本に帰った。ほとんど揺れず、快適な空の旅だった。

今回の旅行はすべてお天気が良く、最高と思われるところを見て回れて本当にすばらしい旅だった。イタリアはとても良いところだ。運もとても良かったと思う。また行きたいがどうだろうか。
(終わり)

正願さん:クインソムリエ ドロミテの案内をしてくれた。8年前からベネチアに住んでいる。
セッラ山:セッラ山群(Gruppo del Sella) ドロミーティに属するイタリア共和国の山群である。最高峰は標高3,152mのピッツ・ボエ(Piz Boe)。北東のバディーア(Badia)、南東のリヴィナッロンゴ(Livinallongo)、南西のファッサ(Fassa)、北西のガルデーナ(Gardena)の4つの谷に囲まれ、マルモラーダの約8km北に位置する。セラ山群とも表記される。

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