旅行



フィレンツェ

1日目
 関空からアリタリア航空でローマへ。少々揺れたが、快適だった。食事はまあまあ。ローマで降りて、2時間半ほどフィレンツェへ。もうかなり暗くなっていた。1時間ほどでフィレンツェの光が見えてきた。オレンジの光がちらちらと瞬いていた。このような夜景は日本では見ることがない。しかもかなり暗い。写真を撮ったが、明るさもなくカメラの能力もなくうまく取れなかった。
 フィレンツェの古いホテル泊。もうかなり夜中になっていて、24時間ほどは経っていて、ツアーの人たちは皆疲れ切っている様子だった。無論僕たちも。部屋に入ると、トイレなどがとても改装されていて、きれいだった。ビデがあり、バスタブはもちろんある部屋だった。ビデを付けるのなら日本のシャワートイレを採用すれば良いのにと思う。僕たちにとってシャワートイレがないのはつらい。しかし、これがある外国の国はない。ホテルはアルノ側のほとり。窓からは細い道を挟んで、隣の古い建物が見える。空は黒く曇っていて見えない。残念ながらアルノ川は見えず。ポンテ・ベッキオは裏口に当たる出入り口を出るとすぐに左側に見える。右手にはサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の塔が見える。

2日目
 朝カーテンから光が流れ込んでいた。窓を開けてみると、向かいは同じような古い建物で、下の道路は狭くしかも濡れていた。掃除をする人たちが掃除する自動車ともに働いていた。上を見上げると屋根の間から素敵な青空が見えた。これがイタリアの青い空。空気がきれい。朝食はビュッフェ形式。ハムや果物、パン、卵、野菜など特に目新しいものはない。朝食後、まずはウフィッツィ美術館へ。ここは元々行政機関を一カ所に集める目的で造られたものでウフィッツィ(役所))という名前はここから来ているという。コジモT世がヴァザーリに命じて造らせたという迫力のある建物の中にはコジモの後を継いだフランチェスコT世はメディチ家所有の美術品をここに展示した。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」、ラファエロ作「びわの聖母」などすばらしい作品ばかりだが、宗教画が多く僕は今ひとつ好きになれなかった。意外に印象に残っていたのはピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻の肖像」である。不思議な絵だ。ウルビーノ公の鷲鼻に気を取られた。大きな建物の中でガイドさんの持つ無線レシーバーで説明を聞いた。これはなかなか便利。大きな声をしなくていい。グループの人たちが外へ出てしまったとき、僕はトイレに行っていた。扉が壊れていて、人たちがたくさん待っていた。おまけに便座がない。時間がかかり降りて行ったときに、迷ってしまった。しばらくすると無線でガイドさんの声が聞こえてきて、難を逃れた。シニョーリア広場に出た。大変混み合っていた。ミケランジェロのダビデ像のレプリカ、大公コジモ1世の騎馬像、その他、数体の彫像が展示され、またネプチューンの噴水などを見ることができた。とてもすばらしい空間だった。
 鐘楼をもったかつての政庁舎だったベッキオ宮を見学した後、北に向かって街の中をぶらぶらし、ツアーの案内に沿っておみやげものの店に入った。日本人の店員さんが対応してくれた。ああ日本人がいるんだ。デザインが良いなと思った鞄があったり、シャツがあったが、サイズが大きすぎた。日本でいうLサイズ位からでこちらでは買えないなと感じた。日本には少し小さいサイズが輸出されていると言われた。
 そして、フィレンツェの顔とも言えるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドウォーモ)へ。この偉大な建築物を設計した、ブルネレスキは設計の段階で誰にもその設計図を見せなかったという。細い賑わいのある通りから広場に出たとたんその姿を見せた。通りに出た直後、正面にグリーンがかった大理石の壁を見た。見上げると豪快なファサードがあり、八角形の塔が見えた。圧倒的である。大理石で造られたこの非常に大きな教会は手前のジョットの塔を従えるようにそびえ立っていた。その中心となる塔は8角形の美しいデザインで天に突き上げるように立っていた。至る所に彫像が飾られ、美しさと荘厳さを内外の人々に、また後世に伝えようとする意気込みを感じた。ブルネルスキの死後回廊をつけようとしたが、ミケランジェロが反対したという。しばらく頸が痛くなるほどくーポラを見上げていた。

 今日はここには登らない。必ず今回の旅行で登ることにして、そこを後にして、昼食後、アルノ川にかかっているポンテ・ベッキオを渡った。この上にヴァザーリの回廊があるらしい。

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両側に店が賑やかに並んでいた。渡るとすぐに大商人ルーカ・ピッティの元私邸、ピッティ宮殿(Palace Pitti)が見えた。壮大な建物。その2階のパラティーナ美術館(Galleria Palatina)を見学。ラファエロ、テッツァーノなどの有名な画家の作品がたくさん、壁の全面に展示されていた。迫力は半端ではない。表現の仕方が大きく違わないので飽きた。眺め通り過ぎた感じとなってしまった。ここでもトイレに便座がなく、そのことをガイドさんに話したら、便座をおいても取られてしまうので、という返事。彼女が南イタリアのアルベルベッロに日本のある有名な会社が団体で旅行したときに、便座をまとめて持っていったということを話してくれた。女性たちはその話を聞いて「大変よね」とうなづき合っていた。外に出るとボーボリ公園(Giardino di Boboli)が見えた。緑と石像がきれいに整えられていた。そのままピッティ宮殿を出てホテルに帰り、夕食に出かけた。すぐ裏の通りのリストランテに入り、パスタを食べた。部屋に帰りぼっーとテレビを付けてみていると、なんとフランス・ギャルが歌っていた。恋するフランス人形だ。何という懐かしさ。若い頃良く聴いていたし、歌詞もまだ一部覚えている。昔はかなり歌詞を覚えていた。この映像は昔のものだった。とても良かった。そのまま入浴し、眠った。

3日目
 シエナを訪れた。バスが突っ走る。高速道路は狭く、時折木々の枝にバスが当たる。日本のように路側帯のようなものはない。車達はかなりのスピードで走っている。比較的小さな車が多く、やはりフィアットが多い。フランスの車、プジョーやシトロエンも多い。ドイツ車はゴルフ、アウディあたりが多かった。日本の車は少ない。トスカーナの風景は本当にすばらしい。テレビでよく見る「イタリアの小さな村」が点在して、次々に集合したオレンジ屋根の街が消えては現われる。どうか事故しませんようにと思いながら1時間ほどでシエナ到着。街の駐車場から見える街の姿と塔が一体化して素晴らしい。広場の地下のトイレは有料だが、きれいでなくトイレ事情は厳しい。そこから歩いて市街地へ歩いていると、赤いフェラーリが止まり、降りてきた中年男性は周りの観光客に「フェラーリ!!」と注目され、うれしそうに手を挙げて答えていた。本場イタリアでもフェラーリは珍しいのだ。さて、中世期そのままのシエナの有名な美しい広場はフェスティバルのため土で埋められ、桟敷ができていた。ここでレースが行われるのだ。007映画で見たシーンを思い出した。ここに土を積んでレースをするなんてすごい発想だ。ゆっくりと傾斜になっている広場を真ん中の低いところへ歩いた。陽ざしは強かったが、建物の美しさが際立っていた。裏にある教会を見学した。イスラムの雰囲気のある荘厳な教会だった。広場の中央に井戸があった。金属の網で覆われていて中は見えにくかったが、たくさんの小銭が投げ込まれていたようだった。どこも同じようなものだが、このくらい高い位置にある街は井戸というのは本当に貴重で大切なものだろうとは思った。その広場に面したジェラテリアでジェラートを食べた。この店は有名な店ということでたくさんのお客が並んでいた。おいしかった。歴史を感じながら古い街をゆっくりと歩いた。細い路地がゆっくりと曲がっていて、美しいカーブを描いていた。壁と積まれた石に数百年の重い歴史を感じた。

その後はサンジミニャー二へ向かった。
バスで南へ。昼食はたくさんの塔が美しいサン・ジミニャーノを望めるアグリ・ツーリズモレストラン、ポッジョ・アローロにて。裏にはプールもあった。遠くに不思議な塔が並んだトスカーナの風景が本当に穏やかに美しくたたずんでいた。トスカーナって本当にきれいなんだ。
 宿泊客と思われる家族がプールのそばで日向ぼっこをしていた。草原の中にプールがあるので不思議な光景だった。花々がとてもきれい。屋外にあるテラスで食事をした。ここから花たちの後ろにサン・ジミニャーノの塔がきれいにたたずみ、パスタと肉そしてワインを飲んだ。美味しかった。レストランの下方に牧場があり、白い大きな牛たちがのんびりと草を食んでいた。この牛はキアーナ谷という地名から由来したというキアーナ牛という名の真っ白で大きな牛でフィレンツェではT-ボーンステーキで有名である。
 食後サン・ジミニャーニへ。お城そのものの入り口。城内に入るという感じ。少し歩くと両側にお店が連なっていて、賑やかな感じだった。なんとハローキティの店もあった。そのほか木造の工芸品とかワイン、リゾットの店があった。旧市街はとても古く雰囲気があり、小さな街だが、迷い込んでしまいそう。塔を眺めながら景色を楽しんだ。一番高い塔を眺めることのできる高台でしばらく塔と街の外を眺めた。27塔ほどあったそうだが、現在は11ほど残っているそうだ。塔を建てることが富の象徴だったという。競って建てたらしい。トスカーナのうつくしい高原をバックに美しい癒される風景。味わいのある小さな店を見つけ、ほっそりとしたスタイルの線のきれいな一輪挿しのような3つセットの大きさの違う陶器を買った。モスグリーンの縦縞の美しい壺だ。110段位なので一番高い塔に登れば良かったのだが、なぜ上らなかったのかわからないが、後悔先に立たず。素晴らしいトスカーナの眺望が見られたはずだ。後で写真を見てさらに後悔。

 フィレンツェに帰ってから、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のあの塔に挑んだ。463段の階段を上らなければあの美しい塔からの素晴らしいと景色は見られない。二人で少しずつ細くカーブした階段をこなしていく。


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 若い人達がどんどん追い抜いてゆく。ところどころに小さな窓があり、街の姿が見えた。「プレーゴ」「プレーゴ」と連発している間に中間にある塔の内部の壁画を見ることができる場所に出る。本当にすごい。何百年も前にこれほどの建築物を造ることができ、しかも天井の壁画のすごいこと。しかもこんなに近いところで見ることができるとは。

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一つずつ階段を上っていくうち、ついに塔の最上部に到達。なんとかそれほどきつく感じず上ることができた。それは本当に美しくすばらしい絶景だった。オレンジ色の屋根が連なり、アルノ川が見え、その向こうにボーボリ公園も見える。真下の屋根をみるとゆっくりとした曲線を描くオレンジ色の屋根瓦が地上に向かっていた。ぞくっとした。夕暮れが迫り、さらに色合いを強めた街の風景を惜しみながら降りた。
 そのあと街をゆっくりと歩き、市場を見て、有名な豚のブロンズ像をなぜて、近くのリストランテに入った。いつものように野菜サラダとパスタを中心に注文した。

4日目
 朝ホテルから歩いてアルノ川を渡った。ポンテ・ベッキオはすでに多くの人で賑わっていた。金細工の店が多い。緻密な細工がとてもきれいだが、僕達はそれほどの魅力を感じることはなく、ウインドウを眺めながら対岸へ。この上はメディチ家の回廊になっている。歩いて雨にも風にも当たることなく人にも会わず橋を渡ることができる。発想がすごい。そしてこの回廊の中にもたくさんの絵画が掛けられているという。NHKスペシャルで見た。橋から歩いてすぐのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会(St.Maria del Calmine)へ。ファサードの右側にある入り口からブランカッチ礼拝堂へ。ここはルネッサンス絵画の原点になったといわれているところだ。壁全部に書かれたマゾリーノとマザッチョのフレスコ画「貢の銭」に圧倒されるも、同マザッチョの「アダムとイブの楽園追放」でのアダムとイブの表情は非常にシリアスだった。他のものは僕にとってはどれを見てもあまり興味を引くものはなかった。写真を撮ろうとしてフラッシュ禁なのは知っていたのだが、セッティングを間違えて、フラッシュが光ってガイドさんににらまれた。ここの神父は結構うるさいということだった。
 そこから、パスでモンテリジョーニへ。少し雲行きが悪くなったが、バスの出発する小さな公園で2人の若い女性がなんと小さな水着で水飲み口の水で水浴びをしていた。これは日本ではあり得ない風景だ。一路モンテリジョーニへバスが走る。遠くから少しずつ要塞のような城の外壁が見えてきた。都市国家を思わせる。城壁に囲まれた本当に小さな村。ダンテが「神曲」の中で王冠とたたえたという村。まさにぴったりの表現。駐車場から歩いて要塞の中へ入ると、突然の雨に遭い、小さな教会に逃げ込んだ。ローソクを買って、火をつけろうそく台に乗せた。少しだが、寄付した気分。とても止みそうにないので、小さな折りたたみ傘が悲鳴を上げていたが、雨の中を散策した。そのあとこの村にある「Il Pozzo」というミシュランもお勧めのレストランでパスタを食べた。ワイン少々。美味しかったが、強い印象はない。食事が終ると雨が止んでいて、街の中を散策。とても小さいのですぐに街の端にぶつかり、ここから城壁に上れるというので、上がってみた。2m程の幅があり、たくさんの人が歩いていた。そこからは素晴らしいトスカーナの風景が広がり、優しい気持ちになれた。
 モンテリッジョー二を出て、キャンティ地方のグレーベ・イン・キャンティにあるカステル・ビッキオマッジョのワイナリーへ。これはすてきなところだった。きれいに整備された庭から見える景色は小さな丘が波をなし、見渡す限りのブドウ畑だ。本格的なワイナリーは初めて。5世紀に創建された城を元に造られており、レオナルド・ダ・ヴィンチが滞在、モナリザを創作したと言われている。中庭にモナリザのポスターが貼ってあった、ご愛敬か。ここで赤ワインを試飲、おいしかったので、キャンティ・クラシコをお土産に買ってきた。

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 帰りにミケランジェロの丘に行った。ここはすてきなアルノ川とドウォーモを一望できる場所。ミケランジェロのダビデ像のレプリカがおいてある。左側にきれいに整備されたボーボリ公園が見える。これがフィレンツェという感じ。そこから歩いて丘を下り、アルノ川沿いを歩いてポンテ・ベッキオの手前のスーパーマーケットで水を買って帰った。4本で10ユーロくらいだったかな。ホテルに帰り、休んでから街をぶらついた。こぢんまりしていてしかもかなりおしゃれな街。ブランドショップも開いており、8月のミラノとは違う。やはり観光地なのだ。グッチの店で娘達のお土産を購入。夕食はいろいろレストランを探して歩き、小さなリストランテを見つけてパスタを食べた。味はいけていた。

5日目
フィエーゾレ(Fiesole)に向かった。ピサに行くツアーがあったが、僕はどうしてもバスに乗ってとても古い町フェーゾレへ行ってみたかった。自分たちだけでバスに乗るのも目的の一つだった。ツアーの人達はだれも行かず、僕と妻だけの旅になった。フィレンツェの北の丘の上にある小さな村。紀元前3世紀頃よりエルトリア人の街として栄え、その後紀元前90年頃にローマ人の街となったところ。古代ローマの劇場跡や浴場跡、考古学博物館、パンディーニ美術館があるところで、高台には聖フランチェスコ教会があり、ここからのフィレンツェの景観が素晴らしいとのことだった。朝はとても曇っていてお天気が悪く、アカデミア美術館へ行き、ミケランジェロのダビデ像を見る予定だったが、随分人が並んでいたので、そのままサンタ・マリア・ノベッラ広場からフィエーゾレに行くことにした。絶対、ダビデ像を見ておくべきだった。タバッキで切符を買った。このとき練習していたイタリア語がそのまま通じた。ラッキー。2.4ユーロだった。雨が降り始め、広場を走ってたまたま「fiesole」と書いてある7番のバスが来たので乗った。言われていたとおり、刻印をして小さなバスに揺られた。目の前にアカデミア美術館があった。人が大勢並んでいた。停留所に止まるが、何の放送もないので、どこを走っているのか分らない。少しずつ山を登り、カーブが多くなる。右にフィレンツェの街が見え、左はとてもりっぱな邸宅が並んでいた。このような風景はどこも同じようなものだ。30分ほど走った。ある広場で止まった。教会が目の前にあり、運転手は知らん顔している。はっとして出ようとしたら、同じくアメリカ人のカップルがフィエーゾレ?といって僕たちと顔を見合わせた。ここが終点、フィエーゾレだった。

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 古代ローマの劇場跡と浴場跡を見た。実はこのような遺跡を見るのは初めてだった。それほど大きな感動はなかったものの、しばらくぐるぐると歩きまわった。これが古代ローマ時代にできたものと考えると本当に素晴らしいものだ。外に出て街を少し歩いた。そのままサン・フランチェスコ教会に行くため、裏手から地図では山を回り道があったので、そこを歩いた。すぐにかわいい石屋さんがあり、きれいな花を植えていた。雨が少し強く降り始めた。途中墓地があった。イタリアの墓を見るのは初めてだ。きれいな花が咲いていた。それで石屋さんがあったんだなと感じた。山の上なので向かいに谷があり、斜面に小さな家々がかすんで見えた。花が賑やかで、この時期には不思議なことだが日本のお盆と同じで15日が聖マリア昇天祭であるため花を特にきれいにしているようだった。木は植え込みのものがかなりあった。墓石は小さく、1個の墓地もまた小さかった。雨の中、細い山道を少しずつ登った。結局サン・フランチェスコ教会の裏手の広場でフィレンツェの方角を見たが、雨は強く降り始め、街は雨でかすんでいた。それでもドゥオーモを見ることができた。それなりにきれいだった。日本人でこんなところに来て迷った人は少ないだろうと思う。しばらくぼんやりと見ていたが、雨は止まず、サン・フランチェスコ教会には裏から入ることができず、また来た道をさみしく帰った。情報は大切だ。気を取り直して元の教会の前を表参道に当たるのだろう手前の坂道を上った。正面から入ることができたが。小さな中庭があり、花がきれいだった。ここからのフィレンツェの街は雨も上がり素晴らしい表情をしていた。本当に美しかった。今までの疲れが吹っ飛んだ。

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 その坂道を降りる途中フィエーゾレの小さな街が見えた。「イタリアの小さな村」そのものだった。素敵な風景。坂道を降りてから少しフィエーゾレの街を歩いてみた。教会の横になるのだが、フィレンツェ側にそれほど大きな広場ではないがきれいな広場があり、立派な馬と騎士のような銅像が2つ向かい合わせに並んでいた。なかなかのもので小さい村とはいえ、良かった。小さな土産物を売っている店があった。この店で陶器などを見たが、買うものはなく、店主の女性が店を閉めようとしていた。彼女に良いレストランありますか、と聞いたらすぐそこにあると教えてくれた。同じ通りの広場の教会側、フィレンツェとは反対側にある小さなリストランテでパスタとピザを食べた。大衆的だったのでピザもあった。ここは美味しかった。帰りのバスはしばらく待っていると来た。乗り込むときに切符を買おうとして運転手に2.4ユーロを出したら「クアットロ、クアットロ」と2.4ユーロを返してくる。どうも4ユーロ出せということらしい。運転手が売るときには高くなるのだった。これは後に知ったことだが、運転手が値段を決めていいということらしい。これはおかしいでしょう。
 帰りにメディチ家のサンタ・マリア・ノヴェッラ広場に面したサンタ・マリア・ノベッラ薬局に行ってみた。すでに閉まっていた。残念。目の前にサンタ・マリア・ノベッラ教会があった。そのまま疲れてトラットリア・フィエゾラーノでパスタを食べた。すぐ前をぐるりと路面電車が通り抜けていった。
 フィレンツェのレストランで前に座った人達がTボーンステーキを注文、カメリエールがTボーンステーキを持ってきた。すごいボリューム。周りの人達から拍手を受け美味しそうに食べていたが、500gということで見るからに大きく、僕たちにはとても無理。とにかく量が半端ない。TボーンはT字の骨が中央にあり、回りに赤身の肉がたくさん付いた骨付きステーキである。トスカーナで見たキアーナ牛である。約500gというが骨もたくさん入っているのですべてが肉ではない。こちらの肉はほとんどが赤身で硬そうだった。赤身嗜好なのは健康のためと聞いたことがある。日本のような霜降りは人気がないとのことだったが、本当に美味しいのはどっちと考えるとどうでしょうか。この様子をみるとTボーンステーキはイタリアでも食べる人はそれほど多くないのかも。ここのリストランテのパスタはとてもおいしかった。パスタはそれほどでもないけれど大きなピザをご婦人がぺろりと平らげ、さらに大きなデザートを食べていた。日本とは桁が違う感じ。大きいと言えばミラノで有名なコトレッタは子牛の肉を平たくたたいて薄くのばし油で揚げるものでとんかつに近くサイズが大変大きいが、味は今ひとつだったことを思い出した。
 夕食後すぐ近くにフェラガモの本店があったので、覗いてみた。すごく古く豪奢な建物で、素晴らしい雰囲気を持っている。店の大きさの割には品数は少ないが、すてきなものはあった。妻はすっきりとしたバッグを買った。僕は特に気になるものがなかったので何も買わず。
地下に美術館があったが、もう閉まっていた。

最終日朝早めに目が覚めたので、ベッキオ宮へ行き、中に入ってみた。中庭があり、風格のある空間だった。シニョーリア広場を東に歩いてサンタ・クローチェ教会まで行った。とても良いお天気で空が真っ青だった。まあ人通りが少なく、ゆっくりと歩いてホテルに帰り、朝食を摂り、バスでフィレンツェ空港へ。

 イタリアはトイレに苦労する。美術館やその他の観光地のトイレは便座がない。これはとてもつらい。食事はレストランならパスタかリゾット、それにピッツェリアで食べるピッツァくらい。しかし、あまり外れない。とても美味しい。

食事について
ヨーロッパやオーストラリアなどはっきり言って食事は今ひとつだ。オーストラリアはひどかった。日本ほどたくさんの種類のものを、しかも美味しいものを食べることができるところはほかにはない。味覚の問題なのかアングロサクソン、ゲルマン民族の人達の食べ物ははっきり言って残念。唯一イタリアが美味しい。しかし、食べ物の種類が少ない。ほとんどパスタかピザで、ときにリゾット。長く逗留することになると食事が問題になる。
海外の日本レストランも要注意だ。中国人や韓国人が経営しているレストランがとても多く、値段が高く全然美味しくない。

トイレについて
トイレのことを考えると本当に日本という国はすばらしいと思う。きれいだし、どこにでもある。西洋人はあまりトイレに行かないということだ。すごく長持ちするのだろう。それにチップなり有料トイレが多いのがうれしくない。小銭を用意しなければならない。イタリアなど有料でもきれいでない。それとドイツ、オーストリアは男子トイレの便器の高さがとても高いので困る。少年などはどうしているのだろうか。
加えてシャワートイレに慣れているのでなくてはならないという感じ。バスはシャワーブースがあるとさらに良い。

治安問題
イタリアはかなり要注意だ。フランスも。オーストリアではガイドさんにあまり言われなかった。スリはいるという話で警戒はしていた。いつもバッグを前に抱えて周囲に気を配らなければならない。 これは少々ストレス。

チップについて
フランスは必要ないと書いている本もあるが、やはり気を遣う。結局ホテルもレストランもタクシーもチップを払った。5〜10%いつも少し多めに出している。
何でチップが必要なのか日本人には理解しにくい。ウエイターなどの収入になるとうことだが、彼らは経営者から給料をもらっているはず。ということは経営者はより多く収入を得ていると考える。タクシーもそう。基本料金があるのだからそれにチップを払うのはおかしい。その点では日本は素晴らしいと思う。

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