旅行
スイス
関空 フランクフルト ジュネーブ シャモニー クールマイヨール ツェルマット マッターホルン グリュンデルワルド ユングフラウ インターラーケン プリエンツ の旅。
初日
4時起き タクシーで岡山駅6時発新幹線
8時18分に関空到着。4階46番にてJTBのKさんに会い、2番のルフトハンザ空港カウンターでチェックイン。後、出国手続き。ものすごい人。かなり並んで出国審査を通り、3階出たところですぐ左側にある両替所で約5万円をスイスフラン(CHF)に。 レート1スイスフラン135円。休む暇なく、北17番へモノレールで移動。すぐに飛行機に乗り込んだ。3列目の右端。快晴。
順調に飛び立った。昼食を僕は洋食。美智子は和食。どうと言うことはなく、少し眠ったり、映画を少々見ながら過ごした。映画は数が増えていたが、おもしろくなくまともに見ず。やはり寒かった。Tシャツと上に長袖ポロ、その上に綿のブルゾンを着た。iphoneの充電器を持ち込んでおかないといけなかった。また忘れた。
約10時間でフランクフルトに到着。とてもスムースで気持ちの良いフライトだった。
フランクフルトからジュネーブへ。こちらは後ろの方に乗ったが、1時間10分ほどでジュネーブに到着。荷物も出てきて、すぐにバスに乗り込んで10分ほどでホテルに到着。部屋は綺麗。景色は普通の街。夕食はビュッフェ形式だった。普通でどうということはなかった。その夜はすぐに眠りに落ちた気がする。
2日め
朝6時起き。晴れ。すぐにバスに乗り込んでフランスのリゾート、シャモニーへ出発。すぐに国境を越え、フランスの高速を走る。快適。
左側に山塊が見えてきた。その奥に白い雪を被った山が見えてきた。どうもこれがモンブランらしい。駐車場にバスが止まり、ここからロープウエイ乗り場まで歩く。途中にデジカメがない事に気づいたが、バスはすでに移動しているとのこと。あるいはどこかに落としたのだろうか。本当にがっかりしたが、ビデオを持っていたのでこれで静止画を撮ることにした。素晴らしいお天気でモンブランがばっちり見えたが、ものすごい人。切符を買うのも大変な様子だったが、Kさんに任せて時間に合わせて並んだ。売店で水を買う。メルシーだ。大変な混雑の中ロープウエイに乗り、まず一番目の駅へ。そこから再びロープウエイに乗り、エギーユ・デュ・ミディへ。最後の登りは垂直に近い断崖を上る感じ。こんなところによく造ったものだと感心。ここからエレベーターで展望台へ。3777mとある。2つあるエレベーターの1つが故障しており、長い列ができていた。いよいよ3842mにある展望台へ。素晴らしい眺望である。真っ白で丸いモンブランが目の前に見え、反対側にはグランド・ジョラスが見えるらしいが、どれかわからず。たくさんの鋭く尖った峯が見える。本当にすごい風景。 そこからまたロープウエイに乗ってイタリアのエルプロンネに向かう。3連の4人乗りロープウエイ。乗り込むときに一時的に止まる。京都の年配のご夫妻と一緒に乗り込む。 広大な氷河の上をゆっくりと進んでいく。こんな風景は2度と見られないだろう。クレバスや氷河が造る文様が素晴らしい。途中、ヴァレブランシュの大氷河の真ん中、右にモンブラン、左に多分グランドジョラス、針を連ねたような尖った峯が並んでいる。おまけにゴンドラが少し止まる。氷河の上でモンブランをバックに浮いた小さなゴンドラが縦に静かに揺れている。本当に驚愕の風景だ。そして国境を越え、ポンタル・ダントレーブというイタリア側の終点に着いた。そこからバスに乗りクールマイヨールの街中のイタリアンリストランテでラザニアを食べた。まあまあだった。
行程がずっと混み合っていてかなり時間的に遅れていたが、リストランテのオーナーはイタリア人らしくとても明るく、片言に日本語を言いながら楽しそうに対応してくれた。食事が終り、バスに乗り長いトンネルに入った。このトンネルはモンブランの真下を貫き、イタリアからフランスに抜ける道である。シャモニーに帰ってそこから今度はスイスに移動するのである。フランス、イタリア、スイスと3カ国を回ることになる。バスは高速を快適に走り、途中のマルティニーのいわゆるサービスエリアのような場所で休憩。トイレは有料。スイスフランの券をくれる。その券でオレンジジュースを買い人工湖のほとりで飲んだ。こちらのジュースは美味しい。お天気は良し。空気は綺麗。この人工湖は隣に公園があり、子どもたちが遊んでいた。水辺で泳いでいる人もいた。
30分ほどで出発、この道も氷河が削った道なのだろう。両側が険しい岩山になっている。サンモリッツに向かう19号線からフィスプという街をティルマットの方向に90度右曲がる。 次第に両側が断崖になっていく。本当にすごい岩山が迫ってくる。斜めに地層が並んでいるところもある。途中右側の断崖が崩れているところがあった。大きな岩が川の方に落ちている。こういうところもあるのだ。ダム化はしていないよう。しばらく走ってテッシュという街に着いた。ここからは車は入れないので電車に乗り換え、ティルマットに向かう。荷物は小さな電気自動車が運んでくれるという。一駅である。カーブに揺られながらのんびりと走り、すぐにティルマットに着いた。山間の街だが、シャレー型のホテルや家が斜面に建ち並びすてきな風景である。お天気はなんとか良い。駅からはマッターホルンは見えないが、広場に出ると少し頂上が見えた。やった。ぞろぞろとゴルナーグラート鉄道の線路沿いをホテルまで歩き、例の日本人橋といわれている、鉄道橋下で氷河が溶けた水が勢いよく流れているマッター・フィスパ川が交差するところでしばし、マッターホルンを見た。やはり迫力がある。氷河の水は白い。なぜ?氷河の流れが白い底を削るのと、泡を多く含んでからということらしい。水をおいておくと沈殿して透明になるという。 夕食はチーズフォンデュ。これが本場のチーズフォンデュと喜んだが、塩辛いチーズとパン。印象はあまり良くない。岡山で食べたチーズフォンデュの方がよほど美味しかった。僕はそれでもぱくぱく食べたが皆さんあまり食べずパンがかなり残った。チーズはしばらくすると干上がった。あまりたくさんはなかった。
3日め
朝4時起き スネガ行きケーブルカーの駅まで歩く。と言っても白い川を渡るとすぐ向かい側。1分。そこから長めのトンネルを歩いてケーブルカーに乗り込む。かなりの角度である。山の中を貫いている。5分ほどでスネガ駅に到着。そのまますぐに下りのロープウエインに乗り込む。自動式のもの。新しい。1分ほど降りるとそこは子どもたちの遊園地のようになったところ。目の前には夜明け前のどーん、マッターホルンが。くっきり見えている。雲一つない。すぐ下にライゼーという小さな湖が。
ここはマッターホルンが映り込む「さかさマッターホルン」が見える湖なのだ。夜が明けてきて頂上付近から薄くオレンジ色に色付いてきた。本当に美しい。幸運である。なかなかこの様な良いお天気には巡り会えないという。ゆっくりと湖の周りを回った。湖というよりは池といった感じ。高山植物も小さなかわいい花をつけていた。風もなく湖面もきれいに整っているので、マッターホルンがきれいに逆さになっている。いろいろな方向からたくさん写真を撮り、じーっと見て脳に焼き付けることにした。しっかりと着込んできたのであまり寒くもない。本当に幸せな時間だった。しばらくぼーっと見て、湖面に映るマッターホルンをいろいろな角度から写真を撮った。
完全に日が昇ると青空の中のマッターホルンと一度別れを告げた。ホテルまで帰り、朝食。ビュッフェ形式でとりわけ特徴はない。その後8時に集合し、ゴルナーグラート鉄道のティルマット駅まで歩く。紅い電車である。右側に座り、しばらくして出発。ぐんぐんと上っていく。右前方方向にマッターホルン、右下は断崖でティルマットの街が見える。マッターホルンの右側にも尖った山塊が見えてきた。すごい。どんどん高度を上げて行くにつれてマッターホルンがずんずん迫ってくる。雪よけのトンネルを過ぎ、マッターホルンを右後ろに見るようになるとゴルナーグラート駅に到着した。3090mの高さにこんなに簡単に来ることができるのだ。ここには立派なホテルがある。世界的にも有名な3100クルムホテル・ゴルナーグラートというホテルで部屋番号がその山の標高と同じという。天文台も有している。目の前に4000m級の山々が連なっている。実に壮観である。マッターホルンから左側に連なる山塊の東端にモンテローザがある。残念ながら頂上付近が少し雲に隠れている。 ホテルから少し上った頂上に小さな広場があり、そこからの風景を楽しんだ。南側の山脈の手前が断崖になっており、その下にゴルナー氷河を見ることができる。ゴルナー氷河はモンテローザから流れてくるという。モンテローザをなんとしても見たかった。というのはミラノ、コモ湖を訪れたときにコモ湖の山の上からモンテローザがくっきりと見えていて、なだらかな山だなという印象が強かった。その当時、あれモンブランですかと福田さんに聞いたら「モンテローザです。」と何回か直された。そのイメージは紅く染まるのかなというものだった。 そのモンテローザを今度はスイス側から見ているのだ。なんとしても全容を見たかったが、ほんの少し頂上が見えかけたものの残念ながら完全には見えなかった。こちら側からはかなり険しい印象だった。北側の山々は完璧に見えていて素晴らしいスカイラインだった。ドームという美しい山も見えていた。別れを惜しみながら電車に乗り、次の駅ローテンボーデンで降り、ここでハッピーくんというセントバーナード犬と写真を撮った。少し雲が出てきた。そこからリッフェルベルグへと下りのハイキングに参加した。元々下りで、なおかつ1時間半という行程だったので、多分大丈夫だとは思っていたが、意外ときつかった。日頃の運動不足が災いした。テニスをするためにいろいろトレーニングしていたが、使う筋肉が違い大腿部の側方の筋肉が痛くなってきた。ともかくマッターホルンを左に見ながらゆっくりと降りた。マッターホルンの左側にマッターホルン・グレイシャー・パラダイスという3883mヨーロッパ最高地点の展望台が見える。ここは見る角度によってマッターホルンに似た姿をしているのでクライン・マッターホルンといわれている小峰が見える。ティルマットから40分ほどで行けるということで、テオドール氷河の上を越える最後のロープウエイの迫力はすごいらしい。残念ながらここには行かない。シュワルツゼーというマッターホルンに最も近づけるところだが、ここも今回は行けない。ガイドさんが時間があれば行ってみたらと言っていた。たくさんの人達が歩いている。うちのツアーの方も全員で参加していた。京都から来られているご夫婦の奥さんはかなり体重があり、足が悪いようだったが、頑張って歩いていた。美智子も持ってきていた2本のスティックを使って難なく降りていた。途中リッフェルゼーという湖でマッターホルンを見た。湖面も綺麗で逆さマッターホルンが綺麗に見えた。ガイドさんがこんなに綺麗に見えることはなかなかないですよ、と言っていた。美しく気高い山、湖面に映るその姿は心が洗われるよう。ハイキングに参加して本当に良かった。そこからしばらく歩いてリッフェルベルグ駅に到着した。本当に気持ちが良かった。ここにあるセルフのレストランでステーキと野菜などを食べた。味は期待していなかったがやはし。65CFととても高かった。マッターホルンを見ながらの昼食は本当にすばらしかった。時々少し頂上に雲がかかり始め、食事が終ったらリッフェルベルグ駅から電車でティルマットへゆっくり降りた。素晴らしい電車。ティルマットに降りてから一度ホテルに帰り少し休んだ。二人とも眠っていた。その後ティルマットの街を散策した。「妙高」という日本食のレストランを過ぎて右側をみると支柱にネズミ返しのある家が見え、これが穀物倉庫と思っていたのだが、実際の穀物倉庫は通りの反対側だった。それでも雰囲気はとても良く昔の風景そのままだった。 〇 4日め どんよりとした空気、色。残念ながらマッターホルン見えず。今日はかなり曇っている。小雨の中見えないマッターホルンに別れを告げ、ティルマット駅へ。願いむなしくかなり降り始めた。いよいよ氷河特急へ。ゆったりしていて席も広い。くじで向かい側に山田さん夫婦が座った。ご主人は山登りとお酒の好きな楽しい人。南河内市の人。岡山にも3年住んでいたという。奥さんは本当に優しそうな人。
本当にすごい岩山を見上げながらのんびりゆるゆるとフィスプ(Visp)まで走った。昨日、バスでティルマットまで行った道の隣である。「特急」とは名ばかりだが、途中の走りはとてもスムースで気持ちが良かった。一カ所崖が崩れ落ちていた。やはり落ちるんだ。
アンデルマットまで氷河特急で行き、氷河特急とお別れ。終点はあこがれのサンモリッツ。行ってはみたいがまたスイスに来れるかどうか。アンデルマットからバスに乗り、フルカ峠を登る。フルか峠はジェームズ・ボンドの「007 ゴールドフィンガー」でゴールドフィンガーを追跡して、ボンドが頭越しに銃で撃たれるというシーンが撮影されたところだ。ここで僕は車を走らせてみたかった。かなりきつい登りだが、どうも自転車レースをしているらしく、たくさんの自転車の選手が上っていく。雨がかなり降り始めた。昔の蒸気機関車が煙を出して走っていた。これは観光用らしい。フルカ峠(Furkapass)はヨーロッパの分水嶺として有名とのこと。西側に降った雨はレマン湖から地中海へ。東側に降った雨はルツェルン湖を経由してライン川に注ぐらしい。 かなり細い道がつづら折りに続いている。かなり高いところをぎりぎりでも登り対向車が来ると、窓から断崖絶壁を真下に見るようになり、何度もひやっとさせられる。峠に着くと古いホテルが見え、そこでバスは停車。このホテルはガイドブックに載っていたが、何となく寂れていた。谷を挟んで真向かいにも頂上付近に氷河が見えた。名前はわからない。降りてショップに向かう。外は小雨。駐車した道ばたに瀧のように水が流れ落ちていた。これも普段見ることがない風景である。ショップの向こう側にローヌ氷河が見える。歩いて近くまで行ったが、途中までしか行けなかった。その先に氷河が見えた。氷河の端は小さな断崖になっている。もちろん氷河をこんなに近くで見るのは初めてだ。本当にすごい光景である。
ローヌ氷河はウルナー・アルプスの最大の氷河でローヌ川の水源であり、また、ジュネーブのジュネーブ湖の主要な水源となっているという。氷河は年々温暖化でどんどん後退しているという。冬に積もった雪がどんどん氷河を形成するのだが、解ける方が多くなっているのだ。氷河の手前のショップに入りいろいろなお土産品が売られていたので見てみた。買いたいものはあまりなかったが、氷河の古い写真があり、後退を実感した。これは大変なことなのだ。氷河から溶けた水がどんどん落ちて白い池になり、そこから断崖を伝って深い谷に水がどーっと落ちてゆく。かなりの水量の滝である。白い水である。氷河を削って白くなるという説と削られることで極小さな水泡が大量に発生し白く見えるという説がある。
またバスに乗り込み、フルカ峠をいったん下り、谷底に降りてからインターラーケンに向かう。ここから登りが始まり、再びヘアピンカーブが始まる。ここも強烈である。ここにもまたたくさんの自転車達が上っている。どこまでも続くという感じ。本当に皆凄いものだ。サポートの車も旗を立てて通り過ぎていく。結構多い。グリムゼル峠の頂上に来ると、トーテ湖(Totesee:死の湖)が見えてきた。水は灰色に近い色で、死の湖という名にふさわしい。お天気も悪いので暗い感じがした。ここを通り過ぎるとグリムゼル湖とグリムゼルホスピスという名前のホテルが見えるが、石造りで何となく暗い感じだった。映画の撮影などできそうな場所だ。このような暗い雰囲気のところは日本にはあまりない気がする。泊る人がいるのかなと思った。静かな雰囲気ではある。逃避するのには良い場所かも。ダムを過ぎ、どんどん下って行く。周囲は氷河で削られたすざまじい断崖が延々と続く。この景色だけでも日本ではなかなか見ることはできない。
シャーロック・ホームズがこの地で死んだとされ、シャーロック・ホームズ博物館があるマイリンゲンという小さな街に入った。その説明を聞き、左側に流れていくライヘンバッハの滝の写真を撮ろうとしたが、少し遅れてきちんと撮れなかった。
そこからまもなく右側に大きな湖が見えた。美しいブルーの湖面の向こう岸に小さな家が並んでいる。ブリエンツ湖とKさんが教えてくれた。いよいよインターラーケンが近づいてきた。インターラーケンを通り過ぎ、グリュンデルワルドに向かう。山に入っていくという感じ。山道を登り、20分ほどでグリュンデルワルドが見えてきた。傾斜のある土地にシャレー風の家々がぽつぽつと見えてきた。良いね。スイスらしいこの風景。
進行方向右側に谷があり、その向こうにユングフラウやアイガーのある山塊があるはずだが、曇っていて全く見えない。街に入ってすぐにホテルに着いた。シュバイツァーホフという5つ星のホテル、もちろんシャレー型。雰囲気のあるアプローチ。すてきだ。正面玄関から左にアイガーの北壁が見えるはず。絶壁の一部が見えているが、上の方は厚い雲に覆われている。その向こうにもすごい絶壁が見えているが、これはベッターホルンという山らしい。残念ながら半分ほど。
Kさんからスケジュールを聞いて、ホテルに入る。ロビーもすばらしい。部屋は314号室。部屋はそれほど広くない。30m2ほど。バルコニーに出てみるとほとんど目の前左側にアイガーの北壁が3分の1程見えている。それでも本当にすごさを感じる。直角に近い断崖が雲の中まで続いている。どこまで続くのかという感じ。なんとか晴れてほしいと願いながら、グリュンデルワルドの街を雨の中散策することにした。coopというスーパーマーケットに案内され、水や簡単なものを買う。結構立派なスーパーである。小さな街だが、お客は多いのだろう。そこから少し街のメインの通りを歩き、お店をのぞいた。時計店、有名なナイフの店、山岳用品を主に扱うスポーツ店、モンペルもあった。セント・バーナードの彫り物などのクラフト店があった。それほどほしいものはなく、帰りがけに通りがかったキオスクでオレンジジュースを買って帰った。
さて、夕食だ。ツアーである程度決まった夕食。スープやポテト、僕はステーキにした。そこそこの味、全体にかなり塩辛い。デザートはアイスクリームを選んだが、量は多く、味は良かった。
5日め
朝、電車の音で目覚める。インターラーケンからの電車で6時前に着くようだ。バルコニーに出てみた。まだかなりくらいが残念、アイガーは雲にすっぽりと覆われていた。7時集合、朝食。雨も降っている。気温は低く、0゜C対応で一番上にモンペルで買った赤いダウンを着て、同じところで買ったリュックにパスポートなどを入れ、準備万端。天候は良くなりそうもない。しばらくして出発。すぐ前のグリュンデルワルド駅まで歩いた。券をもらい、ユングフラウ鉄道に乗り込む。グランドという谷に降りて、そこから上っていく。ラック式という歯車が真ん中にあり、後ろに下がらない構造になっているので、急な傾斜でも上れるのだ。村の家々の間を少しずつ、じわじわと上っていく。眼下にグリュンデルワルドの街が見えてくる。左側にあるはずのアイガーの北壁は全く見えない。
民家が見えなくなっても牛がそこいら中に草を食んでいる。雨でも何ともないのだ。下方のグリュンデルワルドの街も見えなくなり、上方も近くの草原が見えるだけの世界。しばらくしてクライネシャイデックという小さな峠という意味の駅に着く。ここで電車を乗り換える。ここでC国の連中が大量に大声でがやがやと出てきた。うんざりだが、しょうがない。もう周りは真っ白となってしまった。アイガーヴァントという駅を超えるとトンネルに入る。アイガーの腹の中だ。トンネルは7.1キロという。アイスメーアという駅で一休み。トイレがあり、崖に窓があり、外が見える。あっという間にその場所もC人達に占領され、外は真っ白だったが、がんがんに写真を撮っていた。しかし、断崖が見える。もう一回5分ほど休んで、ユングフラウヨッホに到着。3464m。トンネルの中。そこからエレベーターで標高3571mのスフィンクステラスに着いた。なんと高級時計のウインドウがあり、販売されていたようだった。さすが、時計の国。
さて、外は真っ白。テラスはアルミ製で下水のふたのようになっていて下が見える。下は断崖絶壁。何となく慣れてきた。それほど恐怖を感じない。上にある電線から氷の塊が時折落ちてくる。寒いがそれほどではない。少しだけ風が吹いているので待ってみた。左側のメンヒが見えてきた。と思っていたら急にメンヒの頂上がくっきりと見えた。またあっという間に曇り、室内に入ってホットチョコレートを飲んで待っていたら、メンヒが再び見え、先のアレッチ氷河が見え、なんとユングフラウもかすかに頂上を残して見えてきた。氷河は本当にすごい、メンヒもとても美しい。残念ながらユングフラウは最後まで頂上のみを雲に隠していた。
まあまあの満足でユングフラウヨッホ駅を後にして、クライネシャイデック駅までおり、昼食を摂った。広いレストランでステーキだった。米が茶碗一杯分くらい添えられていた。米は細長い米で味は全くなく野菜のような感覚で食べるらしい。柿元さんが100円ショップで買った酢醤油を勧めていたのでかけてみたら意外に美味しかった。帰途も雨はやまず。上っていく電車にはインド人のグループもC国に負けずたくさんの人達が乗り込んでいた。
そのまま下りの電車に乗り、グリュンデルワルドまで降りた。雨はあい変わらず。ホテルに帰り、自由時間。2時頃だったので、僕はインターラーケンにいこうと思い、Kさんに聞いてみたら店などいっぱいあると行ったので少し休んでと考えホテルの部屋に帰った。雨音を聞きながら、いつの間にか眠っていた。妻は疲れたようで大儀そうにしていたし、雨も強くなり、インターラーケンという街を調べてきていなかったこともあったので、インターラーケン行きはあきらめた。そこでグリュンデルワルドの街を雨の中散策することにした。小さな街で昨日も歩いたので少し悩んだが、お店をしっかり見て歩くとおみやげになりそうなものがあったので、O先生、W先生にモビールと絹製の敷物の工芸品を買った。そこから少し登り、ロープウエイ乗り場まで歩いた。雨がざわざわと降り、右手にアイガーの北壁が見えていた。上3分の1は雲に隠れたまま。上の方の壁から水が細い滝のように流れ落ちている。その高さはすごい。こんな風景を見たことがない。雨が止んでほしいなと思いながらロープウエイ乗り場まで来た。雨水が道路を覆い、車が水を飛び散らかしていた。あきらめて帰ることにした。今度は左側にアイガー北壁が見えた。雲はじわじわ下がってきていた。夕方になったので、グリュンデルワルド駅の裏のホテルレストランに入った。僕はステーキ、妻はチーズの塊のような料理と野菜を食べた。まあまあだった。grade6位。歩いてホテルに帰り、明日のお天気が良くなるように祈りながら眠った。
6日目
朝、電車の音と、車がしゃーっと走る音を聞いて目が覚めた。ありゃ、今日もまた雨だな、と思って窓を開けてみた。目の前にあるはずのアイガーは全く霧で見えず、雨は非情にもざーっと降っていた。街はまだ白いもやでぼんやりとしており、所々に赤い灯火が見えていた。仕方なく起きて、朝食のためにレストランに向かった。ツアーの人たちもまた残念そうな表情が並んでいた。いつもの朝食を摂り、用意をしてバスに乗り込んだ。左側にアイガーがあるはずだった。バスに乗りこみ、見えないアイガーに別れを告げた。また来てアイガーをアイガー北壁を見てみたい。グルンデルワルトから道を降りる途中、たくさんの自転車に乗る人たちがバスの横を走っていた。あまりにも多いため渋滞するほどだった。またレースをしているらしい。本当に皆さん自転車が大好きなよう。そのままインターラーケン・オストに行った。インターラーケンは湖に挟まれたこぎれいな街。トゥーン湖とプリエンツ湖の真ん中に二つの湖をつなげている川があり、その川沿いに港があり、そこでバスを降りた。雨の中、船に乗り込んだ。プリエンツ湖の観光船だ。湖はエメラルドグリーンで濁っている感じなのだが、きれいである。湖岸の街を少しずつ寄りながらすすむ。中間の街 Iseltwald にはホテルがあり、何人かの人達が降りていった。楽しそうな街だった。どんどん進んでいくが周囲の山もあまり見えず。途中に桟橋がありそのすぐそばに滝が見えこれは大変迫力があった。ギーズバッハ(Giessbach)の滝という。この滝上にホテルがあるらしい。この湖もお天気が良いときの写真を見ると素晴らしくきれいだ。残念。しばらくしてプリエンツ(Brienz)に着いた。小さなかわいい街だが、賑わっていた。降りてすぐに電車が来て、駅に停まった。線路を渡り、道路を渡るとすぐにロートホルン蒸気機関車の駅があった。そこで切符を買ってもらい、トロッコ列車のような客車に乗った。蒸気機関車は一番後で客車を押すのである。坂に沿って斜めの形式の蒸気機関車でこのようなものを初めて見た。しばらくすると出発。じわじわゆっくりと登って行く。かなりの勾配でじわじわ高度を上げると、プリエンツ湖が見え始めた。曇っていてもきれいに見えている。小さな小屋や樹木がどんどん通り過ぎていく。牛たちが雨の中でも草をはんでいる。本当に広い範囲でどこまでも牛がいる。線路に乗りだしてくるような勇気のある牛もいた。途中で水蒸気の水を入れるのに中腹で停まった。水を入れている間、外に出て景色を見たが、もう坂の草原と牛たちが見えるだけになってしまった。そうして再び出発。すごい谷間を越え、どんどん登り、頂上の手前の駅に着いた。全く何も見えない。お天気ならすばらしい景色、山と湖が見えるはずだった。残念。仕方がなかったが、頂上に続く道をふたりで上った。途中にレストランがあり、お茶を飲み、そこから出てさらに上を目指した。断崖が有り、のぞき込んでみた。霧の先に底知れぬ谷が見えた。エーデルワイスが植えられていた。自然のものではないようだった。マークが付いていて、貴重な感じだった。エーデルワイスを見たのは始めてだったが、「え、こんなもの」という感じ。小さなかわいい花、特別美しいと言うこともない。もちろん、高山植物の特徴ではある。
一緒のツアーのMさん夫婦が登ってきて、エーデルワイスの歌を歌って楽しんでいた。これもまた良いものだ。頂上まで行くのはちょっと不安になり帰ることにした。
そこから帰りの蒸気機関車に乗り、ゆっくりと帰った。天気は全く同じで雨が止むことはなかった。
麓の駅まで降りて、待ってくれていたバスに乗り込み、そのままルッツェルンに向かった。しばらくバスで走った。両側の景色はとてもすばらしかった。湖が現れては消え、岩山が現れては消えていき、滝も同じだった。大きな湖の湖岸を走り、大きな街に着いた。ルッツェルンである。古い町並みが見えた。ところが駐車場がないようだった。ぐるぐる回り、あるところに停まり、降りた。トイレ休憩を計画していた添乗員Kさんが苦労して、ブッフェラーという大きな時計店の地下のトイレを借りることになった。今までも良く借りていたらしい。ところが、入ってみると大変な混雑。C国の人たちだ。うるさい。かなり高級な時計店であるにもかかわらず、若いC国人がカウンターに張り付いて時計を見ていた。買っている連中もいる。店員もC人だ。彼らの後を通り抜け地下のトイレに行った。ここも大変な混雑でしかも女性の方はさらに大変だったようだ。しばらくたって出てきた妻は本当に不快な顔をしていた。非常に汚い状態だったらしい。女性群は皆同じ表情をしていた。
その後、旧市街の外れにある、ライオン記念碑を見に行った。異国に没したスイス傭兵の記念碑である。横たわるライオンの脇腹に槍が突き刺さり、息も絶え絶えの表情が表現されていた。1792年のフランス革命の時に、民衆からルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして命を落とした786名のスイス傭兵を悼んで造られたものである。そういえばウイーンの王宮にもスイス宮があった。ここにも大量のC国人があふれていて、うんざりしながらその場を後にした。
街の中を歩いて古い建物を観て歩いた。とても良いところである。そしてフィーアヴァルトシュテッター湖にかかるカペル橋(Kapellbr?ke)を歩いた。木製の橋で花がいっぱい飾られていた。とてもきれいで雰囲気がよかった。途中に八角形の塔(Wasserturm)があり、これは湖からの敵の見張り台だが、拷問部屋とか貯水塔としても使われていたという。ここから町の方に歩いて行き、大きな近代的ビルディングの中でバスが来るのを待った。バスは駐車場をいろいろ探していたようである。このようなことは今までなかったと、Kさんが言っていた。観光業界も大きな潮流に流され変わってきているのだ。しばらく建物の中で待っていたが、その中で何か大きな会があるようで着飾った男女が出入りしていた。
そのままバスに乗り込み、チューリッヒに向かった。ルッツェルンはとても良い街だったが、なんだかがっかりした。これでスイス旅行は終わるのに。1時間ほど走って、チューリッヒに着いた。ホテルは近代的なきれいなホテルだった。そこのレストランで夕食。選ぶことのできる食事で、まあまあだった。奥に見える庭もきれいだった。 そのままビールを飲んで、休んだ。部屋は良い部屋で駅が見えた。
7日目
早朝に起き、6時半頃に無理矢理、レストランで朝食を摂った。そのままチューリッヒに向かった。チューリッヒ空港で少し時間があったので、お店を見て歩いた。お土産はもうだいたい済ませていたが、スイスフランが残っていたので、使おうと思いうろうろした。奥の方に子ども向けの店と、そのとなりに机の上に置けるような工芸品、陶器がありきれいにカラーリングされたフクロウと牛のモニュメントを購入。そして、布製の絵本、これがなかなかきれいで、動物がポケットの中に隠れているという絵本なのだが、これを購入した。なんと2万円もした。まあ孫のために残金を使ったということ。
そしてすべての準備を済ませて、バスに乗るとバスがいつまで経っても動かない。しばらくして、バスを降りてくださいとのアナウンスがあり、空港内に帰った。どうも機長が体調不良で飛行機が飛ばなくなったらしい。そこで別の飛行機を使用しなければならなくなったようだ。Kさんは慌てて、交渉に向かった。別便でフランクフルトへは行けないようだった。ほんの1時間ほどなのに。フランクフルトから関空へ行く飛行機には乗れなくなってしまったので、別ルートを探してくれていたようだ。いままでのような個人旅行では全く対応できない状況となってしまった。パスポートをKさんに預けて、空港の中をうろうろした。パスポートがないので、買い物もできない。3000円ほどの食事券をもらい、カフェで食事をした。もう仕方がない。夕方6時頃半分の3組6人はスイス航空、バンコク経由、タイ航空、関空着のルートで帰って行った。チューリッヒ空港についてから8時間後である。この日、バンコクではテロがあり、爆発事件の映像が繰り返し流されていた。実はこのルートを選ぶときに手を挙げる動作をする必要があったが、バンコクに行きたくないので僕は躊躇した。そして、結局トルコ航空でイスタンブールへ行き、そこから関空へ帰ることになり、6時半頃イスタンブールに向かった。3時間ほどでイスタンブールに着いた。真夜中だった。夜景がとても美しくこれは本当に得難い経験だったと思う。イスタンブール空港は24時間空港で人種のるつぼだった。アジア人、イスラム圏の人々、欧米人もうごった煮のよう。しかもすごい混雑。お店をうろうろ見て回り、きれいなお皿があったので、2枚買った。購入するときに日本人かと聞かれたイエスと答え、カードを出した。ただ、周りを気をつけないと何か不安だった。何となく怪しげな感じの人たちがいたのは事実だ。イスラムの人たちもとても多く、どんどん流れて歩いていた。ここは日本人も利用するひとたちが多いということでたくさんの日本人が待合室で待っていた。
時間がかなり遅れたが、乗り込むことができた。飛行機はエアバス385という新機種、かなりでかい飛行機だった。搭乗員も皆、美男美女でなかなか良かった。親切だったが、ことばがわからない。安定してあまり揺れなかった。10時間ほどで関空に着いた。夜遅くなり、関空でうどんを食べ、岡山に帰ってきた。明日は一日休みを取っていたので、何とか帰ることができた。このようなことがあるのだ。
総括
初めの2日はすばらしかった。スイスはお天気次第である。
後半の2日は雨で全く良くなかった。アイガーは見たかった。
スイスにもC人があふれていて、不快だった。リギ山鉄道にC国専用の列車ができたらしい。他の国の人たちに迷惑がかからないようにとのことだった。スイスも考えているのだ。
今回はJTBのツアーだったが、航空機のトラブルなどあると、個人ツアーではどうにもならないことを実感した。JTBのKさんは非常に優秀な人だった。
スイスはトータルではすばらしい。食事はだめ。
サンモリッツに行ってみたい。
氷河がどんどんなくなっていくのが悲しい。
食事について
はっきり言って食事は今ひとつだ。 海外の日本レストランも要注意だ。中国人や韓国人が経営しているレストランがとても多く、値段が高く全然美味しくない。 トイレについて
スイスはきれいだが、チップが必要なことがある。
治安問題
スイスは良い。
チップについて
スイスは必要ないと書いている本もあるが、やはり気を遣う。結局ホテルもレストランもタクシーもチップを払った。5〜10%いつも少し多めに出している。