浜口陽三(1909-1999)
浜口陽三は簡素な主題と複雑な版画制作技法であるメゾチントを結びつけ、カラーメゾチントの技法を開発し、現在、世界的に代表的銅版画作家の一人として広く知られている。
1909年三百年以上続く醤油醸造を営む和歌山県の旧家の三男として生まれた。1930 梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退し、渡仏した。パリで油彩を学び、1939年第2次世界大戦のため帰国したが、1953年再び渡仏し、パリに定住。この頃からカラ−メゾチントを制作するようになった。メゾチントとはフランス語でマニエール・ルノワール=「黒の技法」と呼ばれるもので、17世紀にドイツで発明され、絵画の複製に用いられた古典的に銅版画の技法である。銅版にベルソーという道具を用いて、無数の微細な傷をつけて凹版を造るものである。
そして、彼はカラーメゾチントを絵として昇華し、独自の芸術にまで押し上げた。
エンサイクロペディア・ブリタニカの「メゾチント」の項目で、「20世紀の半ばの最も名高い、孤高ともいえる主導者」、「カラ−メゾチントの新しい技法を開拓した作家」と紹介されている。浜口陽三は、生涯の多くをパリ、サンフランシスコと国外に暮らし、高度な技術から生まれる繊細で静謐なその作風は、他の追随を許さず、高い評価を得て世界を舞台に活躍したが、1999年東京で亡くなった。