東山魁夷



明治41年(1908)  7月   東山浩介・くにの次男(本名 新吉)として、横浜で生まれる。
明治44年(1911)     父の仕事の関係で、神戸西出町に転居。
大正10年(1921)  4月   兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高等学校)に入学。
大正15年(1926)  4月   東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科に入学。
昭和 4年(1929) 10月   第10回帝展に「山国の秋」を初出品。初入選。
昭和 6年(1931)  3月   東京美術学校を卒業。引き続き、研究科に在籍。
昭和 8年(1933)  3月   東京美術学校研究科を修了。
            8月   ドイツへ留学の途に就く。
昭和 9年(1934) 11月   ベルリン大学哲学科美術史学部に入学。
昭和10年(1934)  9月   父危篤の報に接し、まだ1年残っている留学を断念して帰国。
昭和15年(1940) 11月   日本画家 川崎小虎の長女すみと結婚。中野区鷺宮に転居。
昭和17年(1942)  8月   父 浩介が心臓喘息のため急逝。
昭和20年(1945)  4月   妻と病気の母を伴い、岐阜県高山市に疎開。
            12月   疎開先より、市川市高石神に転居。
昭和21年(1946)  4月   市川市鬼越で味噌醸造業を営む、中村勝五郎氏が経営する工場の事務所2階で間借り生活を始める。
昭和22年(1947) 10月   第3回日展に「残照」を出品。特選・政府買い上げとなる。
昭和25年(1950) 10月   第6回日展に「道」を出品。
昭和28年(1953)  3月   市川市中山1丁目に美術学校で同窓であった建築家吉村順三設計による新居を建てる。
昭和30年(1955) 10月   第11回日展に「光昏」を出品。
昭和31年(1956)  5月   第12回日本芸術院賞を受賞。
昭和35年(1960)  4月   東宮御所(現赤坂御所)に、壁画「日月四季図」を制作。
昭和36年(1961) 11月   皇居吹上御所に壁画「萬緑新」を制作。
昭和40年(1965)  1月   日本芸術院会員に任命される。
昭和43年(1968)  4月   皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」を制作。
昭和44年(1969)  1月   第10回毎日芸術大賞を受賞。
            11月   文化勲章を受章。文化功労者として顕彰される。
昭和49年(1974)  3月   日展理事長に就任。
昭和50年(1975)  5月   唐招提寺御影堂障壁画 第I期「山雲・濤声」28面を制作。
昭和51年(1976)  4月   日本文化界代表団の一員として、中国を歴訪。
             8月   ドイツ連邦共和国より、功労大十字勲章を贈られる。
昭和52年(1977)  8月   中国人民対外友好協会の招きにより、中国を歴訪。
昭和53年(1978) 11月   パリ市長シラク氏から金牌を贈られる。
昭和55年(1980)  2月   唐招提寺御影堂障壁画 第I期「桂林月宵」等、42面を制作。
昭和56年(1981) 11月   唐招提寺に鑑真和上像厨子絵「瑞光」を奉納。
昭和59年(1984)  6月   ドイツ連邦共和国 プール・ル・メリット学術・芸術院の外国人会員に選ばれる。
昭和60年(1985)     市川市文化会館大ホール第一緞帳原画「緑の微風」を制作。
昭和61年(1986)  6月   日本芸術院第一部長に選出される。
昭和63年(1988) 11月   市川の作家展シリーズII 東山魁夷 唐招提寺への道展開催。
            12月   市川市より名誉市民の称号を贈られる。
平成 2年(1990)  4月   長野市城山公園内に長野県信濃美術館 東山魁夷館開館。
             9月   今上天皇の御即位の式(大嘗祭)に飾る悠紀地方風俗歌屏風を制作。
平成 4年(1992) 11月   ユネスコによる芸術振興の促進に寄与したことにより、ユネスコ・ピカソ金メダルを贈られる。
平成 6年(1994) 11月   市川市生涯学習センター内に東山魁夷アートギャラリー開館。
平成 7年(1995)  7月   長野県山口村に東山魁夷心の旅路館開館。
平成10年(1998) 11月   第30回日展に「月光」を出品。
平成11年(1999)  5月    6日 聖路加国際病院(東京都中央区)で逝去。

(東山魁夷アートギャラリー・東山魁夷年譜より http://www.city.ichikawa.chiba.jp/higasiyama/higasiyama.htm)

※青緑の山の景色の描かれた版画を購入しています。優しく心が安らかになります。本当に素晴らしい。今は版画と言ってもコピーに近い物があり、安心できない時代になってきました。

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