河井寛次郎
経歴
天満屋の個展から
不世出の大陶芸家・河井寛次郎の偉業は、没後半世紀を経た今尚その輝きを失っておりません。 柳宗悦・浜田庄司・棟方志功等と共に民芸運動を大きく牽引し、また晩年は独創的な造形作品、陶彫や木彫、あるいは詩作など、日本陶芸史以外にも大きな足跡を残されました。 1890年、安来の棟梁家に生まれ、東京工業大学、京都陶磁試験場、名門清水六兵衛の技術顧問へと進まれた若きエリートであり、精緻な中国陶磁器に肉薄しておられたにも拘らず、李朝の無名陶工が作り出す簡素の美に感銘を受け、民芸理論の体現者となりました。 以来も融通無碍な進化を遂げ、全く類例の無い独自の創作陶芸の世界を構築し、時代を代表する大陶芸家との高い評価を得るに至りましたが、その生き様は文化勲章・人間国宝・藝術院会員などをことごとく辞退され、無位無冠の陶工を終生貫いた信念の人でもありました。 河井寛次郎先生の記念館に行ったことがある。東山五条を探し回って、ようやく見つけた。なんだか不思議な記念館だった。民芸運動を牽引していたとされるだけのことはあるなと感じた。
線の太い荒々しい陶器が展示されていたが、色ははじけるような雰囲気があり、心の底にがんと来た。
平成30年に地元の百貨店で個展があり、見に行った。実は今までにも時々近くの美術画廊で目にすることがあり、本当にすばらしい色彩と形に惚れ込んでいた。
個展では香炉があり、この色合いにどきんとした。