小堀遠州


小堀遠州(1579〜1647)
天正7年(1579)近江国小堀村に生まれる。幼名を作助といい、長じて、政一と称した。父の逝去後、松山城を預かり備中の国政を司る。茶道、建築、造庭の巨匠として名をはせ、駿府城普請奉行を務め、従五位下遠江守に叙任された。以後、遠江にちなんで、遠州と通称された。備中松山城を再建し、他に名古屋城天守、後陽成院御所造営等の作業奉行を務める。幼少から茶道に励み、宗甫、孤篷庵と号し「きれいさび」を確立、後世に多大な影響を与えた。
天保4年(1647)卒す。世寿69歳。

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