荻須高徳 TAKANORI OGISU



1901年(明治34年)11月30日、愛知県中島郡井長谷村大字井堀149番戸(現在の稲沢市井堀高見町)に生まれる。
1908年(明治41年) 7歳   千代田尋常高等小学校に入学。
1916年(大正05年) 15歳   愛知県立第三中学校(現在の津島高等学校)に入学。
1921年(大正10年) 20歳   卒業後、上京し川端画学校に学び、藤島武二の指導を受ける。
1922年(大正11年) 21歳   東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学。
1927年(昭和02年) 26歳   東京美術学校卒業。9月フランス留学の途につく。
1928年(昭和03年) 27歳   このころから署名をOGUISSとする。サロン・ドートンヌに初入選。
1939年(昭和14年) 38歳   第2次世界大戦勃発。翌年13年ぶりに帰国。
1940年 帰国 1944年(昭和19年) 43歳   横江美代子と結婚。
1945年(昭和20年) 44歳   終戦。
1946年(昭和21年) 45歳   長女恵美子生れる。
1948年(昭和23年) 47歳   戦後初めて日本人画家として、フランス滞在を許され8年ぶりにパリに入る。
1956年(昭和31年) 55歳   フランス政府から、レジオン・ドヌール勲章を授与される。
1972年(昭和47年) 71歳   勲三等旭日章に叙される。中日文化賞受賞。
1974年(昭和49年) 73歳   パリ市より、メダイユ・ド・ヴェルメイユを授与される。
1981年(昭和56年) 80歳   文化功労者に顕賞され10年ぶりに帰国。稲沢市を訪問。
1982年(昭和57年) 81歳   フランス国立造幣局が、荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユを発行する。
1986年(昭和61年) 84歳 10月14日、パリのアトリエで制作中に死去する。文化勲章を受章する。

(荻須記念美術館ホームページより http://www.city.inazawa.aichi.jp/midokoro/oguiss.html)

荻須高徳(1901-1986)は、東京美術学校で学んだ後、1927年に渡仏。 ルーヴル美術館の絵画群や、画廊でルオーやヴラマンク、ユトリロなど同時代の画家の作品から刺激を受け、本場の油絵を貪欲に吸収した。 荻須は1940年に、前年に勃発した第二次世界大戦のためやむ無く帰国したが、敗戦後、日本人が海外へ渡航することが未だ困難な1948年に、日本人画家としてはじめて再渡仏し、1986年に亡くなるまで、通算して半世紀以上、パリで画家として生きた。 洒脱なタッチで描かれた即興的な素描は、荻須の生きたその時代のパリや彼が魅了され深く愛した歴史あるヨーロッパの息吹を生き生きと伝えている。 最初は真っ黒だと感じた、空や建物、舗石に多様な表情を持つシックな灰色の街パリ。その古びた建物に内在する人々の暮らしや生命の軌跡を温かな眼差しをもって見つめた荻須の作品は、人間の心や歴史を魅力的に描き出し、日本だけでなくパリの人々からも長く愛され続けている。

リトグラフは購入した。僕は本当の気持ちは油絵を本当にほしいのだけれど、4年前油絵を見たとき1600万円だった。やはり無理だね。リトグラフは10年前にフィレンツェの絵を購入した。
どれもとても色の感じが素敵で、本当に気分がいいけれど。2024年1月7日にもう一枚購入した。本当に気持ちの良い絵である。ただリトグラフはやはり奥があまり感じないな。

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