山尾薫明(1903-1999)


経歴
1903年 香川県高松市生れ。
二科会理事 総理大臣賞

★オークションで落札しました。東京国立近代美術館収蔵しておられる画家と書かれていました。画像でみると非常に心を引かれかなりの入札数になりましたが、なんとか落札できました。 大変古い壊れかけたガラスのない額でしたが、絵がすばらしい。どういうこともなく、特徴もないパリの郊外の風景です。夕方なのか、早朝なのかよくわかりません。落ち着いた色彩の小さな田舎街の雰囲気がじわりと心に踏み込んでくるようです。

※下記は出品者のコメントから
山尾薫明「パリ郊外」1932年作品.。板に油彩です。現在では、忘れ去られた画家になってしまいましたが、東京国立近代美術館収蔵と実力のある滞欧作家です。2014年に目黒区美術館で開催された「ふたつの時代‐所蔵品でたどる(パリの日本人)フジタのいる街角−巴里の誘惑1910-30年代」にも山尾薫明の地に足のついた作品は展示されておりました。
作品はまさに「フジタのいる街角−巴里の誘惑1910-30年代」の滞欧作品で、魅力のあるものです。ありそうでない山尾薫明の良い時代の滞欧作品です。

東京国立近代美術館に収蔵されている作品
16区の街景     1932年 油彩/キャンパス 額 65.0×81.0 昭和54年度
うら街のレストラン 1932年 油彩/キャンパス 額 73.0×91.0   

落合道人さんのブログより
 「山本發次郎が所有していた佐伯作品104点のリストだが、1957年(昭和32)に発行された『みづゑ』619号に載せられたものだ。同誌に掲載された、山尾薫明の「戦災と山本コレクションの佐伯」によれば、蒐集されていた佐伯作品は全「約150点」となっているので、疎開に失敗してリストから漏れている焼失作品が、ほかに40点余もあることになる。山尾薫明によれば、それらは「美校時代の作品、デッサン、画題の明白でない滞欧作品等約50点」ということだ。」

「海峡を渡る布 ―初公開 山本發次郎染織コレクション ふたつのキセキ―」より
 山本發次郎(やまもとはつじろう・1887年〜1951年)の染織コレクションは、日本国内に伝来するインド・東南アジア染織コレクションとしては、もっとも早い昭和戦前期に蒐集されたと考えられる作品群で、総点数300点に及ぶ膨大なコレクションです。その蒐集には、昭和10年代初頭にインドネシアで活動していた画家・山尾薫明(やまおくんめい・1903年〜1999年)が大きな役割を果たしました。山尾は、当時すでに美術品蒐集家として知られていた山本發次郎から資金提供を受け、インドネシアで陶磁器や染織品を蒐集し戦前の日本へと持ち帰り、山本の蒐集を助けました。

【山本發次郎について】  明治20年(1887年)、岡山県の地主の家に生まれ、東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業後、鐘淵紡績株式会社に勤務。大正4年(1915年)大阪船場でメリヤス業を営む山本發次郎の婿養子となり、大正9年(1920年)には二代目を襲名。山發商店などを経営しメリヤス製品と染毛料を製造販売した。事業のかたわら美術品蒐集をおこない関西を代表するコレクターの一人に数えられるも、昭和20年(1945年)、空襲によって芦屋の自宅とともに多くの美術品を失う。昭和26年(1951年)64歳で没。山本の蒐集した佐伯祐三の絵画、墨蹟、染織品等574件にのぼる美術品は、昭和58年(1983年)、遺族の山本清雄(やまもときよお)氏から大阪市が構想する新しい美術館のために寄贈された。
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