銀杏(ぎんなん)   


 紅い雲が流れ、ひんやりとした空気を感じながら、公園を犬たちと散歩していた。小さな丸い実をグニュッと踏み潰した。かすかに妙なにおいに包まれた。足元に肌桃色の銀杏がたくさん落ちていた。もうこの季節なんだ。ほとんどはグジャグジャに踏みつぶされ、気にかける人はほとんどいない。見上げると夕暮れの光に色づいた実がぶら下がっていた。  落ちていても無傷のものは淡いオレンジ色とふんわりとやさしくへこみそうな人肌のような表皮。異様に美しく、不思議な魅力を感じた。生きている。
イチョウは街路樹として多く植えられているが、この実に似合わない強烈な悪臭のため雌樹は避けられているところもある。
 僕は鼻が良くないので違和感はない。匂いに鋭い妻はこの木々の下を通るのは気が進まないらしい。なぜか犬達はそれほどでもないようだ。この子達の嗅覚はヒトとは比較にならないほど敏感なのに平気で歩いている。感覚が違うのか。不思議な感じがする。
 さて、夜、こっそりと芝生の中に全く踏み潰されていない実を探し、手のひらにいっぱい取ってきた。なぜだか食べてみたいと思ったのだ。銀杏といえば茶碗蒸しか、飲み屋さんでのおつまみくらい。長い間不思議にこの実の姿に惹かれ続けてはいたが、食べるチャンスすらなかった。
銀杏という言葉を考えるだけで素敵な思いをしていたけれど、銀杏は中毒を起こすことがある。食べ過ぎるとメチルピリドキシンによる中毒症状が出てくる。戦後直後食糧不足で、銀杏中毒で亡くなった人たちがかなりいたという。子どもはさらに危ない。1回10個以上はお勧めではない。
 お皿に水を入れ、実を浸した。猛烈な悪臭とさげすまれ、庭の端において時を待った。7日目今度は日光で乾燥させ、また一週間。一時存在を忘れてしまい、雨水に溺れた。
においを恐れ手袋をはめ、皮肉を剥がした。きれいにはできなかったが、銀杏らしくなった。これがなぜ銀杏?この殻が銀色で杏に似ているからと銀杏という名がつけられたというが、銀色ではない。ピスタチオに似ている。硬い殻をペンチで割り、中から薄い皮と実が出てきた。
この薄い膜が少し銀色に近い。皮を剥ぐと軟らかくてかわいい雰囲気だったが、小さかった。当然のことながらやはり売られているものとは違う。少しずつ炙って、不安な気持ちで食べてみた。生臭かった。胃にも蒼暗い気分が。続いてしっかり焼いて焦げが残るほど焼いてみた。グリーンになり、白くなり茶色になった。今度は意外とおいしかった。なぜか青春の香りを思い出した。 ところで銀杏をイチョウとも読む。オシドリのオスの羽を銀杏羽と書いて、いちょうばねと読む。悩ましい。
(児島医師会報 2019年掲載)

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