小さな草の花   


 4月頃から毎日ひたすら草抜きをしている。腰が痛くなり、指がばね指のようになった。今年もすでに数千本は抜いていると思う。新型コロナウイルス感染症のため外出を避け草抜きに集中した。
 今年は雨が多いこともあり、彼らはすこぶる元気である。季節が変わるにつれ、種類がどんどん変わるため、抜いても抜いても終わらない。どんなに小さな、5ミリくらいの幼いものでもすぐに大きく変身するため、ひたすら抜かなければならない。悩ましいが、成長されては困る。
 毎日たくさんの小さな命を絶っていると思うと時々悲しくなる。
 3月頃から勢いがよく、印象の強い草が、オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)である。数が半端ではない。ヨーロッパから明治時代に来た帰化植物で、花期は3〜5月という。するすると伸びてどんどん増えて、とても小さなかわいいルリ色の4枚の花を咲かせる。小さな青い瞳が覗いているように見える事から別名「星の瞳」と言われている。  先に一つだけ、日に当たっているときだけ花が咲く。咲くと、すぐに勢いがなくなってくるようだ。抜ききれることはないが、5月以降になると赤ちゃんのような姿でも小さな花を咲かせている。季節に追われ、幼くても種を残そうとするのだろう。とてもかわいらしく、きれいな花なので抜くのはかわいそうな気もする。
 それにしても名前が面白い。イヌノフグリという名は種がイヌのフグリ(陰嚢)に似ているからというらしい。
 このように草の名前は変わっているものが多い。よく見られるものでコメツブウマゴヤシ(米粒馬肥やし)、オニタビラコ(鬼田平子)、オッタチカタバミ(おっ立ち傍食)、ニワゼキショウ(庭石菖)、ノミノツヅリ(蚤の綴り)、スズメノヤリ(雀の槍)、エゾノギシギシ(蝦夷の羊蹄)など愉快な名前にあふれている。
 苦手な草の代表がオニタビラコである。「タビラコ」は田んぼに葉を放射状に平たく広げるので「田平子」と名付けられたという。背が高く元気でパワーにあふれている。植えているキキョウの花達の隙間に1本隠れて花を咲かせ、種を飛ばそうとしていた。巧妙さ、生命力も限りない。しかし、意外にするっと抜ける。
 多くの草の中でいつも素敵だと思うのが、キキョウソウ(桔梗草)とヒメキキョウ(姫桔梗)である。2つとも花がキキョウに似ているので、この名前になっている。キキョウソウは6月の終わりには背が高くなり、5枚の青紫の花びらが咲く。花は小さいけれど私の心にずきんと来るほど美しい。道路横の花壇に植えられた花達の隙間にバラバラと咲いていた。草として抜かれることもなく静かに種を飛ばして終える。群れ全体の姿は意外に魅力がない
 草花として違いはないのだが、花として大切にされない。花びらが小さく、命が短く、バランスが良くないからだと思う。ヒトの意思には関係がなく、彼らは花を咲かせ種をつなぐ。
 8月も新たな草達との戦いが続く。抜いても抜いても終わらない。手強い蚊と強い暑さ、さらに抜きにくいタイプが増えてくるため、非常に苦しい。花にも全く魅力がない。
 今手強いと感じているのが、コミカンソウ(小蜜柑草)である。この草はきれいに並んだとても小さい種が丸くミカンに似ていためこのような名前になっているらしい。花はとても小さいが、葉の姿は特徴がある。石の間でもどんな場所でも生えてくる。この小さな種は強いエネルギーをもっているようだ。
 夕方、公園を犬たちと散歩していたとき、8センチくらいのとてもほっそりとした茎に小さな青い花が1本見えた。周りは草刈をされていて、なんとか逃れられたのか。かわいいかわいいヒメキキョウだった。1ヶ月前、たくさん咲いていたとき、数本抜いて持って帰ったが、あっという間にしなだれた。とてもか弱い草だった。ここに残っていた1本がヒラヒラと踊っていた。周りには場所取りゲームのような草たち。なんだか、「頑張って生きるんだよ」と思った。  
(児島医師会報 2020年掲載)

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