鱧の落し   


 鱧の落しとは湯引きのことである。鱧を素早く茹でて氷水に落として作ることから関西では鱧の落しと言われている。
 鱧に良い思い出はない。叔父は鱧が大好きでよく食べていた。僕もいっしょに食べることが多かったが、生臭い感じで一度も美味しいと思ったことはない。多分鮮度があまり良いものではなかったのだろう。あのカリフラワーのような白いほこほことした身は何となくよそよそしい感じだった。
 叔父が亡くなり鱧を忘れた。しかし、お店でその姿を見ると、あのかすかな生臭さだけがよみがえって来る。
 鱧は同じ種のウナギや穴子より小さく硬い骨がたくさんあり、骨抜きは難しいそうである。しかし、骨切りという日本独特の技術で細い小さな骨を感じることなく食べることができる、という。これをなかなか理解できずにいる。確かにはっきりとは骨を感じたことはなかったと思う。くしゃくしゃしていた気もするがはっきりと覚えていない。骨切りの技術が良かったのかどうかもわからない。
 ところで叔父はドジョウも大好きだった。僕が食べていたのは多分ドジョウ汁だったと思うが、ドジョウをねぎと一緒に煮るどぜう鍋は人気の料理らしく、東京の老舗のどぜう鍋専門店はいつも盛況と聞いて不思議な気がした。
 骨を一緒に食べることで口の中がいつも混乱した。僕はこのくしゃくしゃ、ぐしゃぐしゃ感が嫌いだった。そして泥臭かったような気もする。しかし、その感じがよみがえってくることはない。
 ドジョウと卵豆腐を鍋に入れ、熱するとドジョウが熱くて卵豆腐の中に頭を突っ込むという料理を見たことがある。とても残酷な料理法だ。生き物を食するということはそういうことなのだろうけれど。

   十数年前の夏に貴船を訪れたときに、貴船川沿いの旅館の前で、表示されている料理とその驚きの値段を見て悩んでいると、客引きらしききれいな和服の女性に「じゃ、鱧の落としね」としなやかに"落とさ"れた。
彼女はやり手である。「ほんなら、鱧の落しにしはります?」、はんなりでは引っかからない。
 結局、鱧を食べることになった。鴨川のものとは少し異なるが、川床である。京都は鱧の本場である。期待した。盆に白いほんわり"もこもこ"が盛られ、梅ソースが色っぽく寄り添っていた。骨切りをした身が広がってきれいな牡丹の花のように作るのがこつのようで、牡丹鱧との別名がある。何十年振り。不安と期待。ざわっと昔の生臭さがよみがえったが、意外にさわやかな口当たりだった。そしてやはり骨を感じない。悪くはなかったが、やはりそれほど美味しいとは思えなかった。舌が疎い僕には雅で繊細な味がわからなかったのかもしれない。
真夏の京風にも貴船川は涼やかに流れていたが、もう来ないよ、多分、とからみつくブヨ達に別れを告げた。
(児島医師会報 2016年掲載)

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