アジサイ   


 10月の初め、まだまとわりつく暑さの中、落ち葉に囲まれて、昨年植えたアジサイが花(装飾花)を付けていた。意外に赤紫色がきれいで瞳を上げ凜としていたことに驚かされた。ほかのアジサイたちは家人が来年のためと容赦なく切りこんでいたのでその姿はない。
 アジサイは冬になると薄茶色で枯れたように乾いた幹だけが残る。落葉樹は木枯らしが吹いても幹や枝に生命力を感じるものだが、冬のアジサイはまるで死んでいるようだ。
 しかし、気温が下がり始めた頃、色落ちした幹の間から可愛らしい小さな漉tの芽が勢いよく次々と出てきて、復活を感じさせてくれる。
 漢字表記は最初に「紫」が当てられている。「ライラック」を誤って表記され広がったとも言われているが、実際紫色のものも多く見られ悪くない。
 名前は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説が有力らしい。やはり色の基本は藍か紫なのだろう。
 花びらに見えるのは装飾花という萼で、中央にある両性花はごまのようにかわいい。
 アジサイの魅力は多彩な色だ。七変化と称され、グラデーションが繊細で鮮やか。花びらの肌合い、色のやさしさ、クールさに心がとことん引かれていく。
 短所は花の咲いている期間が長いこと。どうしても飽きてしまう。萼だから枯れにくいのか。そのおかげで鮮やかな色合いを比較的長い間保つことができる。それでも桜と違いアジサイは梅雨を過ぎると忘れ去られる運命だ。
 山道などを歩くと真夏でも亡霊のようなアジサイをよく見かける。切り込まなければこの状態が続くのだろう。決して振り返ることはない。

 日本のアジサイは江戸時代以前から栽培され、江戸時代末期から明治時代にヨーロッパに渡り、いくつもの西洋アジサイの園芸品種の元となったという。ガクアジサイが手まり状に変化したものをホルテンシアといい、逆輸入された。
 ドイツ人医師シーボルトもまた、1928年国外追放再渡航禁止処分を受けたとき、アジサイをもちかえり、彼が愛した楠本滝、おたきさんを想って「オタクサ」と命名したと言われているが、学術的には問題があるという。
 フランスではアジサイの花言葉は「元気な女性」ということらしい。ヨーロッパでの土壌はアルカリ性のことが多く、アジサイは赤やピンクに色付きやすいという。フランスでも花が咲くのは同じ時期だが、日本と違ってからりとしていて明るいイメージなのだ。
 真夏の南イタリアの山にきれいな青いアジサイが咲いていた。この地は酸性なのだろうか。かなりの猛暑にもかかわらず鮮やかな美しい色を呈していた。紺碧の空、濃紺の海に飛び出した断崖の街で不思議ですてきな風景を味わった。
 まん丸ホルテンシアは日本では人気があり、結婚式などの装飾に使われている。いろいろな造形が可能で、多彩な色の組み合わせによってあざやかな美しさを見せてくれる。ドライフラワーとしても人気がある。しかし、僕ははかなくて上品な雰囲気を持つガクアジサイが好きだ。装飾花が妖艶なティアラのように両性花を取り囲んでいる。その形はスマートな宇宙船のようで素晴らしい。これもたくさんの種類がある。華やかな印象のある八重タイプもすっきりと美しい。それらを育てたい気持ちを持っているが、なかなか難しい。
 庭にあるとても小さな青紫の装飾花を持ったガクアジサイが今年は咲かなかった。シシィ妃が大好きだったバイオレットブルーを思わせる色と花びらが素晴らしく、見ていると心がときめくものだった。この株を何とか生かしたいと思ったが、今年は花を付けず、葉も小さく勢いがなくなってしまった。残念だが、これでは挿し木をしても無理だろう。
 もし日本にアジサイがなかったら、きっと梅雨はとても悲しく寂しいだろう。
 雨の中できらりと艶やかなアジサイを見る度になぜかチッチとサリーを思い出す。
(児島医師会報 2017年掲載)

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