カワセミ (翡翠、川蝉)   


 子どもの頃からカワセミという言葉にあこがれ、笑い声を聞きたいとまじめに思っていた。写真集を集め、可憐な姿を見る度に心臓がきゅんとした。
数年前、柿田川を見たいと思い静岡県に出かけた。富士山の伏流水がきらきらひかり、澄み切った水の中では梅花藻の白い小さなかわいい花達が忙しそうにくるくると踊っていた。
上流の橋から霧でぼんやりとかすんだ川面を眺めていたとき、一羽の小さな青い鳥が木の枝に留まっていた。彼(?)は水面をじっと眺めていた。あっ、カワセミだ。どきどきしながら、カメラを向けようとした瞬間に消えてしまった。 飛び込んだの。それならすぐに木に戻って来るはず。小さな魚を咥えた姿を見たかった。しかし、もう二度と会うことはなかった。
 その美しさやかわいらしさを実感することができなかったが、その姿だけでも見ることができたのは幸せだった。
 長い嘴、短いしっぽという不思議なバランス、美しい宝石でできた仏様の螺髪(らほつ)を思わせるような頭、この世のものとは思えない美しい羽、かわいらしさは桁違いである。
 カワセミは漢字で「翡翠」と表現されている。「翡翠」はカワセミを表現する字で、その色に似た宝石を「翡翠」と名付けたといわれている。私の認識は逆だったが、ヒスイよりカワセミの方が素敵な気がする。
 鳥類生態学研究者、笠原里恵氏によるとカワセミの青く見える羽は色素由来ではなくその複雑で微細な羽毛構造の層で光が干渉もしくは散乱することで青や緑に見えているものだという。
 そのような物体の微細構造による発色現象を構造色と呼ぶという。だから神秘的な美しさなのだろう。
 カワセミは必ずしもきれいな水の環境でなくても生息しているという。清流での生活のイメージが強いが、都市部の公園などでも見ることができるという。
 昔から清流という言葉が好きで、私はよく渓流や滝を見に行っていた。しかし、それまでカワセミには出会ったことはない。汚れた川で生活しているカワセミがいるとしたらとても悲しい。水際で生活する鳥たちもえさになる魚たちも本当はきれいな水で生活したいと思う。 カワセミへ思いを強くしたのは宮沢賢治の「やまなし」を読んだときである。川の中に鋭い嘴が飛び込んでくる強烈な表現が心に突き刺さった。
サワサワと清んだ流れに任せてささやかで楽しそうに生きていた小さな魚にとって強烈で理不尽な地獄が、美しくしなやかに描かれている。宮沢賢治は本当に感覚と表現の天才だと思う。
 カワセミは70種ほどが存在しどの姿も本当に美しい。想像しにくいが、ブッポウソウ科である。ブッポウソウも大変美しい鳥で、中国地方の村に5月頃渡り鳥として飛來してくるという。
一度で良いから会ってみたい。大きくて赤いアカショウビンもこの仲間で美しい。彼らは環境の悪化、汚染、河岸のコンクリート化などが進みその数を減らし、現在は多くが絶滅危惧種に指定されているという。どうか生き続けて種を保って欲しい。彼らのかすかな美しい世界を維持してもらいたい。ヒトがすべきことがかなりある。

(児島医師会報 2018年掲載)

※翡翠は「ひすい」というものでもあり、ヒスイ(翡翠、英: jade、ジェイド)は、深緑の半透明な宝石の一つ。東洋(中国)や中南米(アステカ文明)では古くから人気が高い宝石であり、金以上に珍重された。古くは玉(ぎょく)と呼ばれた。

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