三俣(みつまた)山荘の思い出


 三俣山荘は北アルプスの最も奥、黒部川が始まるところにある。黒部源流が始まる三俣蓮華岳と鷲羽岳(わしばだけ)の間の尾根にちょこんと乗っている。高度は2650メートルといわれている。医学部を卒業した後、小児科医局に入った僕はテニス部の後輩から夏休みに三俣山荘に行ってみないかと誘われた。彼らは学生として、ボランティアに参加するのだった。三俣山荘がどこにあるのか僕にはさっぱりわからなかった。そこで随分前から岡山大学脳外科学教室が中心になって、ボランティアで登山者のための医療活動をしているのである。北アルプスにはいろいろな山荘があり、それぞれいろいろな大学が医療ボランティアをしているということだった。しかし医者の参加者が少なく、運動部のつてで僕のところにおはちが回ってきた。僕自身卒業して1年目で医者になってからまだ3ヶ月である。不安があったが、北アルプスという名に惹かれ、元テニス部の親友と一緒に行くことにした。

 松本から新穂高温泉へ。ここでのんびりと露天風呂に入り、翌日出発。車で登山口まで連れていってもらい、そこから、長い長い登りが始まった。本格的な登山などしたことはない。国家試験で体力はかなり落ちていたが、テニスで鍛えていたという自信があった。しかし、それはもろくもすぐに崩れることとなった。主な荷物のほとんどを学生が持ってくれたおかげで、背負った荷物は10キロほどだったにもかかわらず、僕にはリュックの中に恐竜が入っているかと思われた。肩がぎりりと噛みつかれていた。山に登ることがこんなに大変だとは。弱音をはきはき登った。5時間ぐらい登ったあと、双六山荘で休憩。多くの人々でにぎわっていた。右にとんがり三角が美しい槍ヶ岳が見える。その方向へ山道に人々が蟻のように列をなしている。

 槍ヶ岳を横に見ながら、厳しい山道をのろのろ進んだ。かわいい花達がやさしく励ましてくれた。途中、槍ヶ岳と奥にある穂高連峰が絵はがきの様に鏡池の波に揺れた。左におにぎりのような黒部五郎岳とカールが見えた。手前の三俣蓮華岳を迂回、やっと山荘が見えた。うれしかった。かれこれ7時間は登ってきてもう限界だった。
 たくさんの人たちでとてもにぎやかだった。復活の食事をした後、そのままどろっと眠った。もちろん雑魚寝。

 次の日、早朝に目覚めた。美しい山々の風景と新鮮な空気が心をいっぱいにした。すばらしい朝だった。
 診療スペースは狭いがちゃんとあり、医療器具などもある程度そろえてあった。午前中は小さいけがなどの手当が主で暇だった。外の景色などを眺めたり、山荘の主の伊藤新一さんに素敵な高山植物の名前を教えてもらったりした。夕方になるとたくさんの登山者が到着してにぎやかになり、風邪気味の人や体調の悪い人たちを診察した。

 この三俣山荘は北アルプスの中でも一番奥に位置しているということで、次の山に向かうのに重要なポイントである。みな長い距離を歩いてきて、疲れ切っていた。高いところだけに疲労がたまりやすく、風邪がすぐにひどくなることがある。
 2日目、ある男性が風邪気味だったが、夜に急に様子が悪くなった。高熱が出、呼吸もかなり速い。聴診所見から肺炎と考えられた。もちろんレントゲンの設備などはない。かなり苦しそうで皆と懸命に治療した。朝になって、要請していた富山県警のヘリコプターが来てくれた。三俣山荘はちょうど馬の鞍の背中のような場所にあり、平らなところはあまり広くない。しかし、ヘリは上手に着陸して、患者さんを乗せた。そして飛び上がろうとしたときうまく垂直に上がれなくて、南の谷の方にスーッと降りてゆき、あっという間にヘリは谷の中に消えていった。すわ墜落か、見送りの全員が一瞬息をのみ次の瞬間ワーッと谷の方に走った。少しの間をおいて、ヘリは映画のシーンのように谷の下の方からグーンと上昇してその機体を見せた。高度が高いので、離陸しにくいのだろうか。これも命がけである。その後その患者さんは元気になったという連絡があった。

 交代で勤務したので、非番の日にはいろいろと出かけていった。高天原という温泉があると聞いて、1時間半ほど細い山道をぬかるみと小枝に悩まされながら歩き、高天原山荘のそばの露天風呂を楽しんだ。真っ青な空に白い濁り湯とさわやかな風に酔った。ここは標高2284メートル日本で一番高いところにある露天風呂だそうだ。いわゆる秘湯中の秘湯である。久しぶりに湯につかる幸せに浸った。

   また、三俣蓮華岳の反対側に姿のよい鷲羽岳があり、山荘から駆け足で登った。30分ほどで上れるのだ。頂上から見た山々の姿はすばらしく、神々しかった。僕は高いところは好きではないが、その時はコンドルになった。しばらく山頂できりりとした空気を楽しんだ後、縦走して、赤牛岳、少々険しくて初心者にはスリルのある水晶岳などに登った。ほとんどが2900メートルと少しの山々だったので3000メートルを超えられなかったのが、少々残念ではあった。

 ある日、ハイ松の下の源流を感じながら、爺父岳を越えて雲ノ平という平らな草地を訪れた。ここは周りの高い山々の間にポコッとある盆地のようなところで自然の小さな池である池塘がたくさん見られる。ここには雲ノ平山荘という山小屋があり、ここからさほど遠くない池塘周辺の草絨毯の上で、一緒に行った友とごろんと大の字に寝転んで、青い空を見ながらボーっとしていた。本当に気持ちよく風がさやさやなっていた。近くで虫たちがぶつぶつ独り言を言い、草達がひそひそ話をしていた。雲たちはするすると忍び足で流れていった。ふと意識を失った。眠っていた。友も眠っていたらしい。気がついたとき、周りが真っ白で何も見えなくなっていた。池塘も山荘への道も全く見えない。友と二人で道を探した。迷ったのだろう。しばらくうろうろしていると急に霧が晴れた。雲ノ平山荘は目と鼻の先だったのだ。後で聞いた話だが、雲ノ平山荘近くで遭難した人がいたという。僕たちは危なかったのかも。
 その山荘から、美しい山容を誇る薬師岳などを望むことができた。ここは四方に美しい山々を借景に本当にすばらしい自然の造形が見られ、その姿によって、日本庭園、スイス庭園、アルプス庭園などとなどと名付けられていた。まさに神々が創りたもうたと思われたものだ。

 こうしてスリルのある日々が過ぎゆき、楽しかった1週間もいよいよ帰る日が来た。山荘の前の花達が揺れて、別れの歌を歌ってくれた。彼女たちの名前はチングルマ以外忘れてしまった。帰りは伊藤新道という新しい道を下りることにした。この道は三俣山荘のご主人の伊藤さんが造った道である。深田久弥氏がこの道のおかげで北アルプスの最も奥にある三俣蓮華岳に達することができるようになったと書いている。新しい道だけに途中道が崩れていたところなどがあり、苦労しながら下りた。澄み切って頑とした高瀬川の流れに沿って、ときには危ない思いをしながらどんどん下りた。かなり下りた後、油俣山荘からタクシーで大町という街に帰り着いた。その日の夜、宿を探して、風呂に入った。みんな垢まみれで、その旅館には気の毒なことをした。

 すばらしくとても貴重な体験だったと思う。三俣のような奥地にはもう多分二度と行くことはできないだろう。毎年岡大からお誘いの手紙が来るがご期待には添えない。休みが取れないし、足手まといになるだけだろう。何よりたどり着けない気がする。医者としては多少役に立つだろうけれど。

(2000.9)
※写真右上は学生が撮影してくれたもの。左下の赤い屋根が山荘。
※真ん中と下は山と渓谷1999.7月号から。地図は読みにくくてすみません。
※鷲羽岳(わしばだけ)

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