家のすぐ前には大きな公園があります。この公園は瀬戸大橋が建設された記念に瀬戸大橋開通記念博覧会が開かれ、その後、造られたものです。たくさんの木々が植えられ、かなり、茂ってきましたが、元々塩田があったところで、水はけがいいのか悪いのか。たぶんいいんだと思いますが、塩害もあるのでしょう、木々たちはあまりしっかりとは木々が根付いていません。おまけに倉敷市は木は植えるが、管理といえば1年に1回剪定をするくらいで、水を全くといっていいほどやらないためにたくさんの木々が昇天しました。エイメン。
こんなことでいいのでしょうか。公園の木々は市民の財産であり、また、一本一本が生命です。植裁にしても管理にしても市民の税金が使われているわけですから、これはもう立派な市民の財産です。
確かに一度植えた木というのはもちろんその土地になじむかどうかわかりません。自分で水を探して、根付かなければ育たないという意見もありますが、最初はある程度保護してやらないとこのような土地には根付きにくいのではないかと思います。したがって、水もやらないでいたずらに死に至らしめるのは税金の無駄使いと共に植えられた木々の命をないがしろにするものです。私は毎年市の公園課に電話をかけて、水を撒くように再三要請しましたが、そのときだけ水を撒いたらおしまいです。どうして市というのはいつもこのような姿勢なのでしょうか。
市民の憩いの場をきちんと管理整備することは市民の精神的レベルの安定という、きわめて重要な役割があるのです。そして、その公園がその土地に住んでよかったと市民に思わせるのです。
確かに、一度造られた公園はそれを楽しむ人々が管理運営するということが必要であろうと思いますが、夏に木々に水をやるということがどんなに大変なことか。
私は2年間ほど水不足の時に自分でできる分だけでも水を与えましたが、ホースも小さく、蛇口から離れたところで水を撒いているとすぐに蛇口のところではずれて水が飛び散ることが度々でした。しかも苦労してもほんの一部に撒けただけ。
おまけにものすごい蚊の襲撃。このくらい広い公園になると、人手と設備がないとできないことがよくわかりました。やはり、物事というのは維持管理が非常に重要なことがよくわかります。ものを買ったり造ったりするとき、いかにそれを維持管理していくかということを計算して予算を立て、実施するべきだと思います。そうでなければ大きな無駄になるのです。