アガシ翔る
ウインブルドンテニストーナメントが始まり仕事が前に進まない。私はテニス狂いである。
ロンドン市郊外のこの地で、1877年に始まった全英テニス大会に、世界中の強豪が集まる。ここで優勝して初めて世界No.1プレーヤーと認められる。ウインブルドンは芝のコート。芝といえばゴルフだけじゃないよ。・・・・とても長い歴史がある。約120年前のイギリス人は芝の上でテニスをする事を思いついた。芝のコートでは、サーブアンドボレーを得意とするプレーヤーが断然有利であり、ネットプレーがうまくないと勝てない。
偉大なベースラインプレーヤー・ボルグの優勝後、12年(1992)にして、ネットのうまくないアガシがベースラインに張り付いて強打で勝った。誰もが予想していなかった勝利である。クロアチアを背負った猛烈なサーブアンドボレープレーヤー、イヴァニセピッチはアガシの前に傲然と立ちふさがった。テニスプレーヤーとして飛び抜けた才能を持つ彼はかつて悪童といわれ、コートの中でも悪態をつくことが多く、精神的に不安定だったが、激しすぎる精神をコントロールしてアガシの前に立ちふさがった。悲願のウインブルドン優勝をかけていた。コートは完全にイヴァニセビッチに有利だったのだ。
アガシは37本もの弾丸サービスエースを決められながらも、素晴らしい集中力と、迫力あるプレーを見せてくれた。とにかくリターンがすごかった。イヴァニセビッチの非常に速いフラットサーブ、そしてまた左利きのスライスサーブはコーナーギリギリに滑りまくるのだ。そのサービスのコースを予測して、すばらしく速いリターンを送った。このクラスになるとどんなに速いサービスでもコースを読まれると一瞬にして、サイドを抜かれてしまう。
父親はイラン人で風貌が東洋的、時折見せる悲しそうな表情がなかなかノスタルジックな雰囲気を漂わせる。イヴァニセピッチはすざましいサーブを最後まで打ち続け、その激しい気迫は観客をしばし慄然とさせたが、最後にその自信満々のサーブのミスで涙をのんだ。
近年のウインブルドンは、パワー全盛である。もうひとつおもしろくない。確かにすごいが、柔らかいタッチや意表をつくテクニックが影をひそめている。その点、私の大好きなマッケンローが準決勝に進出したのはたいへん嬉しいことだった。
往年のテクニックは衰えたものの、う−んと唸らせるプレーが随所にみられ本当に楽しめた。
日本勢は男子が松岡修造、女子では沢松奈生子など5人が出場し大変活躍した。松岡はサーブが良くなり、力はついてきたが、ボレーがうまくならないと上の選手には勝てぬ。
ところで松岡君の後ろには‘おっかけギャル’か、何人かの若い日本人女性が陣取って応援をしていた。松岡君は血統も良く、188cmの長身で脚は長く、ご覧のハンサムである。ウインブルドンのセンターコートに立ってもちっとも見劣りしない。もてる。追っかける気持ちも分かる。
うむ、・・・しかし、ウインブルドンまで行くか?
日本はいい時代である。若い女性がさらりとイギリスなんぞへゆく。しかもウインブルドンである。
日本人は働きすぎなんだそうな。そう、開業医にはこのような長期の休暇をとって、ウインブルドンのテニス観戦など夢の又夢だ。それはそうと、世界の女子プロテニスプレーヤーの脚は何故あんなにきれいなのか。
いつしかその探求の旅に出よう。
(1992.6)