アンドロメダ銀河は約230万光年の彼方にある、ポピュラーな銀河である。その距離は不可解であるが、それはそれとして、我々の銀河系とほぼ同じ形の渦巻き銀河で、とてもすてきな形をしている。私には”さかな”のくちに見えない。賢治はジョバンニのように今よりもとてつもなく暗い夜空を見つめていたのだろう。星からのメッセージに想像力をかきたてながら。
これが230万年前の光かと思うがピンと来ない。星々を思うとき、いつもその想像を絶する彼方からの光芒がこの本当にちっぽけな星に届いていることが、不思議でならない。光の持つエネルギーはすばらしい。遥かな星の思いを伝えてきているのだ。アンドロメダは我々の銀河と同じようにたくさんの星からなっている。そこには生物が存在する可能性は十分ある。この地球は奇跡といえる確率で生まれたという。太陽からのちょうど良い距離にある、水の惑星の奇跡。銀河系だけで2000億個もある星々。宇宙全体でさらに無数の星々。その奇跡は起こりうると思う。宇宙での奇跡などどこにでもありそうである。すべてが天文学的な数字なのだから。
アンドロメダ銀河の小さな星に住むバクの様な生物が銀河系を望遠鏡で覗いているかも知れない。
さて、一方で人間は10億分の1m、”ナノ”の世界にまで入り込んだ。よせばいいのに原子を使って字を書いたりする。かつて、「ミクロの決死圏」という映画で艇長が人間の血管の中に入って赤血球をみながら、「人間の中にも宇宙がある」といった言葉を鮮烈な感動を持って思い出す。
この果てしないような宇宙も実は巨大なさかなの空気袋の中だったりして。・・・
いろいろな思いをめぐらせながら夜空を見上げるのは楽しい。ただ現代は光害のため星を見にくくなってきているという。岡山の国立天文台の前原所長はできるだけ光をもれないようにしてほしいと書いていた。さもありなん。明るすぎて未知なものへの畏敬の念もわいては来ない。想像力など無用となる。古代の漆黒の闇を知らない現代人には必要なものかもしれない、少なくとも賢治が見上げていた頃のような暗闇が。 (平成5年9月)