辛夷(こぶし)

 辛夷の木がある。いただいたものだが、5メートル程になっている。春になると桜と前後して淡いピンク色の花をつける。春の楽しみの一つである。昨年のことだが、春になってもなかなか花が開かないので枯れたのかと思ってよく見てみると花びらのところだけが、ナイフで切られたようになくなっている。
そこで注意して見ていると、20cm程の鳥が食べていた。頭を振り振り、まるで獲物を屠るという感じだ。しかも食べ散らかしている。花びらを。私の好きな辛夷の花を。なんて鳥だ。名前もわからない。にっくきやつだが花を喰らうなんて風流な鳥ではないか。その写真を撮ろうと考えたが、これが大変である。望遠でもはっきり識別できない。羽が黒っぽく腹部が白っぽいグレーで、まあ全くわからない。博学で有名な先輩に聞くとヒヨドリらしい。そういえば波状に飛んでいた。去年は花という花は開く端から切りとられていたのに、今年は近くに網をおいていたら、警戒したのか半分以上の花が無事だった。

 実は辛夷と思っていたら実はモクレン族のシデコブシ(別名ヒメコブシ)であった。コブシに比べると木の大きさがかなり小さく、蕚弁が花弁と良く似ており区別がつきにくく、花弁がたくさんあるように見え実は16枚ある。花びらと萼弁は楚々として悲しげで美しい。咲き始めると芳香が辺りを包む。散り際もこのヒメコブシはひらひらと舞う。辛夷よりも風情がある。ただ、時間が経つとだらしなく花びらが開いてしまう。「形四手のごとく下に垂れ咲くものなり」との語源がある。
 今年はまだ春とはいえ寒い日々が続いているので、桜がまだ咲いている。桜の華やかさ、美しさに比べて、辛夷の地味なこと。名前をみても生まれながらにして地味である。蕾の形が人(幼児)の拳に似ているということかららしい。ひっそりと咲くのがなかなかいい。ちゃんと好んでその花を食べてくれる鳥だっていることだし。

 辛夷はモクレン科の落葉高木である。木蓮よりやや早く、春の初め、葉に先だって白色の大形の六弁花を開く。この花が咲くといかにも春らしい感じを受ける。木蓮にはごく淡い香りしかしないが、辛夷の花は芳香を放つので香水の原料にもなるという。樹冠が、この花でおおわれている様子は実に見事で目が醒めるほど美しい。また、展葉前に咲く雪白色のこの花はあまりにも清純であるため、美しさの中になんとなく、寂しさ、侘びしさを感じるという人もいる。

 春の訪れに従い、4月下旬から5月上旬にかけてこの花の開花前線が北上してゆくので、農耕自然歴のめやすとなり、辛夷が咲くと田の仕事にかかる準備をするという意味で田内(打ち)桜、あるいは種蒔桜と称して開花に併せて種を蒔いたといわれる。また、辛夷の花の数やつき方でその年の豊凶を予想するといわれた。
漢方では蕾を包んでいる苞を採集・乾燥した者を煎じて、頭痛・瘡毒などに用られるという。

 先日、2000年前の辛夷の種子が見事に花をつけたという記事がでていた。
2000年前というと縄文時代である。その種子が生きて今日花を開くなんてなんて素晴らしいことだろう。
タイムカプセルそのものであるが、現代の水と空気の汚さに閉口しているかもしれない。
(1995.6)


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