子供の顔をかわいいと思ったことのない人はいないだろう。不思議なことだ。そして、生後2カ月で笑う。初めての社会的表現であるが、これで親はひとたまりもない。どんなに不細工(失礼!)に見える子でもこれがかわいい。子どもの顔は、丸いぽちゃっとした印象を受ける。大きくて広い額、ふわっと丸い頬、目がくるりと丸く、小さくて低い鼻、同じように小さい口、柔らかい顎、“丸い、小さい”のオンパレードになってしまったが、これら顔を形成するすべてのものが角がなく丸いのである。そして翳がない。人相学はよくわからないが、優しくてほのぼのとした感じだ。
これらの点は人間以外の生物の子にも通用する。ほ乳類、鳥類の子の顔の特徴も共通のものがありかわいい。小学生の時、校門の外で売られていたひよこのかわいかったこと。おおきくなってとさかが生える頃になるとなんだかかわいくなくなってしまってがっかりしたことをよくおぼえている。
は虫類の子や軟体動物の子すらかわいいと感じてしまう。いかの子だってくらげの子だってかわいい。小さいというのはかわいいと感じる重要な要素である。しかしなぜ小さくて丸っこくて翳がなければかわいいと感じるのだろう。作家の戸川幸夫氏は子供から特別な光線が発せられていてそのため親は「ああ、この子はかわいい、大切にしよう」と思うのだという。たしかに赤ちゃんの微笑みに出会うとなんともいえない優しい感覚が身体の奥からでてくるのがわかる。この感覚が異性に対する愛と同じものならホルモンで制御されているのか。生まれてしばらくして笑うというのも、動物にはみられない。人間は生まれつき社会的な存在なのだ。
どちらにしても自分の子供はもとより幼いものをかわいがり大切にすることは種を維持するために非常に大切なことである。この感覚がなければ種はすぐに滅びてしまうだろう。動物たちが自らの子供たちをかわいいと思っているかどうかははっきりとはわからないが、行動を見ているとそう思える例がたくさんある。動物がわが子を大切にする姿は心を打つ。
コンラート・ローランツはその著作の中で口の中で子を育てる宝石魚が空腹のあまりこどもとミミズをいっしょに口の中に入れてしまい“考えた”後、子どもを出してそれからミミズを食べたエピソードを紹介している。
しかし、反対の例も多い。鳥たちは餌を一番元気な雛にばかり与え、いぬわしは発育の悪い方の雛を殺して食べてしまう。強い子供のみを育てるという行動である。‘他人’の子はどうか。集団で他の子供を一緒に育てる動物は珍しくない。これはより強い動物から子供たちを守る方法であり、種を維持するには合理的であるが、かわいいと思っているとは限らない。むしろ、逆であり、これを多くの例が証明している。かもめの親は自分のテリトリーを侵した‘他人’の子を許さないし、ライオンの雄は雌を得るために子どもをかみ殺す。
人間に最も近いといわれるチンパンジーですら前のボスの子を殺してしまう。しかし少なくともヒトは他人の子も他の動物の子もかわいく感じる本能を持っているようだ。ルソーは人間には本来、動植物をはじめ生きとし生けるものに対する同情の念が備わっていると考えていたそうだが、乾いた言い方をすれば、ホルモンによる作用なのかもしれない。
が、そうだとしても、他の動物の種の保存にも重要な働きができるということだろう。現実には人間は地球の環境を壊し多くの他の生物を絶滅させてしまった。しかし、いまこそわれわれが本来持っていると思われる他の生物に対する愛情を認識して、環境破壊によるかれらの絶滅を少しでもなくし、この地球の上で共存できるように努力すべきであろう。(91年11月)