樹齢1000年の思い


 4月末、落合に醍醐桜を見に行った。細くくねくねした田舎道をやっとの思いで上ったとき、淡い可憐な花びらが頬に触れた。ふと見上げると桜が謳っていた。
春の終わりのこの日にこれほどの満開の桜を見ることができようとは。
小さな花びらをあたかも淡い淡い花柄のベールを纏っているかの様に散らせていた。

 醍醐桜は後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、この地にこの大樹を見て、賞賛したとされる。それが、本当かどうかは私にはわからない。現に2〜3年前には樹齢700年、後醍醐天皇がお手植えをされたと言い伝えられていたのだ。ただ、2〜300年の違いは問題になるまい。この目の前の雄大な樹はその命を天に突き上げながら、生き生きと輝いていた。その小さな小さな花びら達は巨大な幹には似つかわしくなく、あくまで可憐であり、少しずつ顔をのぞかせつつある、優しげな薄緑の葉を伴って、控えめな美しさを見せていた。

 春には似合わぬ、暑いきらきらした初夏のような光の中で、孤高の醍醐桜は生命を躍動させていた。その可憐な花びらを風にゆだねながら、小高い丘の舞台でひとり踊っているように見えた。

その姿は豪快であり、また繊細で、あまりにも美しかった。

 エドヒガンという種であるそうな。230種以上といわれる桜の中にあって、長寿である。関東以北に彼岸の頃に咲く種類ということで名付けられ、日本の大樹の中に多く見られるという。

 日本人の大好きなソメイヨシノではこのように長く美しく生き残ることはできない。ソメイヨシノは確かに美しい。その美しさは妖しげな切なさであろうか。あの西行が愛した桜はソメイヨシノではないが、恐らく西行はソメイヨシノを吉野の山桜と同様愛したかもしれない。何しろあれほど、桜の散るのをいとおしんだ人なのだから。私はソメイヨシノを好きだが、その弱さはやはり好きになれない。危なげな美しさの花びらに不似合いな幹の醜さに心が苦しくなるのである。

 明治の頃に植えられたソメイヨシノの多くはその姿を十分にとどめていない。寿命が100年以下なのだ。惜しいとは思う。桜守といわれた佐野藤右衛門さんによるとソメイヨシノは接ぎ木でしか育たないので、最近のものの寿命は50年ほどだという。

 本当の桜好きはソメイヨシノを愛してはいない。私も最近そう思う。

 この大樹は大きな傷を抱えてはいたが、治療されていて元気に見える。痛々しいがまだまだもう百年以上生きることができそうである。しかし、私も含めて、この群がる人間たちがこの樹の寿命を短くさせることは明らかである。

 人間たちが踏み込まないように周りに縄を巡らせているにもかかわらず、人が入り込んでいる。彼女にとっては、今までの風雪に耐えるだけでなく、人間たちの侵襲に耐えねばならないのだ。近くの村人だけに大切に崇められている時代が幸せだったような気がする。長寿を願う人間たちに精気を吸われてもいるだろう。

 車にしてもただごとではない。長蛇の列である。呼吸も苦しかろう。ライトアップで夜も休ませてくれない。後50週間をゆっくり休んでほしい。

 長寿の代表といわれている、屋久杉の寿命も同様である。天敵は人であろう。

 1000年の意味。言葉では尽くすことはできない。
 種、場所、土、運、風雪、そして樹を愛した人々の努力。多くのものがあったのだろう。これからも長生きして、人間たちに、そして、子供たちにその圧倒的な生命体の生き様を見せてほしい。

(2000.6)

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