銃に取り憑かれたアメリカ


 世界に出て行ってそこで亡くなる人が珍しくなくなった。ほとんどは事故や殺人によってである。殺されてしまうことは珍しいことではない。アメリカの服部君、カンボジアの中田さん、高田さん、その他にも悲報が絶えない。
希望に燃えてアメリカに渡った服部君をめがけて、マグナムという大きな銃を2メーター弱のところからぶっ放した犯人は、辣腕弁護士の巧妙な“お涙頂戴作戦”で、予想通り無罪を勝ち得た。詳しいことはわからないが、いくら“フリーズ”という意味が分からなかったからといって目の前に銃を構えて大声を出して威嚇している人間に向かってぴょんぴょん跳んで行くだろうか。

 アメリカの常識では銃で撃つのが当たり前だという。その裁判を注目していたペンシルバニア州の人々の中でインタビューに答えた人はすべて判決は正しかったと喜んでいた。信じられない光景だった。日本の制度が良いとは言えないが、陪審員制度にはかねがね不信感を持ってはいた。全員が無罪が原則とはいっても大きく割れてもいいのではないか。インタビュー風景をみる限りどんな陪審員を選んでも同じだったろう。アメリカは病んでいる。人を平気で銃で撃ち、そのことを省みることがない。人を撃つための銃をいつも持っているのは人に対する不信感からである。
そして持つことはそれを使うことを意味する。どんなに防御のためと理屈をつけても。

 性悪説がその基礎にある。人間を信じられない人々は悲しい。人を殺して当然と考える人々は救いがない。服部君の叔父がいみじくもこう言った。「アメリカは二流の国だからしかたがない」
二流とは思いたくないが、悲しい国である。
そう思わざるを得ない。もう西部劇の時代ではないのに。先住民のインデイアンを銃で駆逐したことを未だに自慢している。日本に原爆を投下して早く戦争が終結したと喜んでいる・・・今でも。そんなアメリカの一面がある。基本的に意識が変わっていないのだろう。銃を規制しようとしても、アメリカの巨大な武器産業がバックに猛反対をし前に進まない。あのチャールストン・ヘストンが会長をしているという武器産業はもう巨大な悪と化している。もう引退したらどう? 世界中の紛争の火種に油を注ぎ、多くの人々の血を流すだけでなく、その地域の貧困をまねき、多くの無関係の人々、特に子どもたちの命を奪っている。

 アメリカは一刻も早く理性を取り戻して、銃の呪縛から逃れる努力をしなければならないが、どうしようもなく病みきっているように見える。”ガン”として意見を聞こうとしない人が多く、未来永劫無理かもしれない。
(93.4)

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