大山レークサイドホテルの思い出
大山レークホテルを訪れた。大山の北、大野池の畔に立つ近代的なリゾートホテルである。ふとある女性雑誌で見て、インターネットで調べた。新しく建てられたものらしく、とてもきれいで素敵な写真が並べられていた。
実はこのホテルは25年前に僕が合宿した大山レークサイドホテルの跡地に建てられたものであった。そこは学生が合宿で泊れるような気楽な安宿だったのだ。
ある確信の元、25年ぶりに訪れた。きれいなホテルに生まれ変わっていた。そのレストランで昼食をしようと、車を飛ばしてきた。しかし、着いたのは2時過ぎで、レストランはお昼休みに入っていた。仕方なく、ホテルのすぐ隣にこじんまりしたレストランがあったのでそこで食事をした。僕はピラフ、妻はカレー。ともに800円で妻が作ったものの方がよほど美味しかった。すっきりしないままホテルの中庭と大野池の周囲を散策した。草が思いのままに生え、生き生きしていた。大野池の水は汚く、25年前と同じだった。どうしてこの池が汚いのかわからない。上には大山寺やパークセンターがあるが、それ程汚れるとは思えない。それに・・・この池からは大山も海も見えない。
昔と同じく、何艘かのボートが浮かべられ、人々が楽しんでいるようにみえた。しかし何となくうらさびしい風景であった。その昔、若かった僕たちもボートで、さほど大きくない湖面に出かけた。なぜかクラブの女の子と一緒に乗った。突然、霧がひどくくかかって一緒に乗っていた彼女の顔も見えなくなった。しかし妖しい雰囲気は全くなかった。
荒くれコートで風を手なずける練習をし、疲れ切ってホテルに帰って朝も昼も夜もそこで食事をした。苦難の食事だった。
大山はジンギスカン料理の名所である。着いた日の夕食はジンギスカンでとにかく焼き肉の食べ放題。若かった。うれしかった。満腹になるまで食べた。つぎの日はステーキ、オムレツ、その次の日はミンチカツ、焼きそば、焼きめしなど。ある時、気がついた。全部マトンだった。
豚肉も牛肉もなし。ひたすらマトン、マトン、マトン。皆、体と顔が羊になった。途中から臭くて臭くて、吐きそうになった。吐く息はケトンならぬマトン臭だったろう。ケトンというのは自家中毒や飢餓などで、ブドウ糖の代謝がうまくいかなくなるとでてくるもの。
西医体は決勝で負けた。マトンに負けた気がする。そのときから僕はマトン嫌いになった。
その後フランス料理を食べることがあり、子羊がでた。オーナーシェフはにおいはなくしていますよと優しく言ってくれたので、食べてみたが、レストランがあの日のホテルになった。
レークホテルはきれいなホテルだった。しかし大野池は相変わらず寂しそうだった。湖畔ももの悲しく、ホテルは全体が生き生きしていなかった。マトンを思い出し、もう行きたいと思わない。