小田川は下水ですか

 この夏、私たちは大変な渇水に見舞われた。つくづく水のありがたさを思うこの頃である。以前から日本は決して水は豊富ではないといわれていたが、まさに卓見である。  児島の真ん中に小田川の流れがある。一羽の鷺が餌を探していた。私はこんな汚い川は今まであまり見たことがなかった。つーんと鼻を突くにおいがぼんやりした頭をしゃきっとさせてはくれるが、だれもこの川の辺りを散歩しようなどとは夢にも思うまい。かわいそうなぼら達。何で君たちはこんな水の中に住んでいるの。かわいそうな鷺くん。何で君はこんな川で餌を探しているの。飛ぶことができるのに、とお節介の一つもいいたくなる。たった一本の夾竹桃が赤い花を悲しそうにつけていた。赤い涙のようだった。

 川は生命の源であったはずが、この川はまるで下水路である。多くの文明が巨大な河川のほとりで生まれ、以来人間は多くのものを発達させてきた。 そのほとりで命を営んできた。恋人は愛を語り、悲しみに川面を眺め、澄んだ流れに遊び、魚たちの姿にこころを洗わせてきた。 きっとこの川もそうだったのだろう。
 ウオーターフロントという言葉が生まれてからもうかなりたったが、死語になりつつあるような気がする。

先日、大阪のアジア・太平洋トレーディングセンターに行くことがあった。埋め立てた土地に巨大な建築物が生まれている。多くのマンション群と天に向かって突き立つ高いビルが建設されていた。高いビルにはいつも魅力を感じてはいたが、今は墓のようで肌寒い。 ここは文字通りウオーターフロントの地である。水際にはけやきを始め、たくさんの木々が植えられ、パティオが大きな雁木のように海に向かっている。モダンなアールに設計者の苦労が見て取れる。 人々は肩を寄せ合い、海を眺める。すてきな風景。ところが、肝心の海はといえば、青と緑と茶と黒の絵の具を混ぜたような醜い色に仕上がっていた。むろん臭いもなかなかのものだ。 ウオーターフロントという言葉のノスタルジックで新鮮な感じは水という主役のひどさの前に吹き飛んでしまうのだ。

  小田川はたいへん短い川のようだ。源流はどうも福南山の辺りらしい。福南山の向こう側の郷内川の上流には蛍が生息していると聞いたことがあるが、そうであれば小田川にだっていてもよいと思う。児島は倉敷では一番森林が多く残されている地域であるという。だからもっともっと水達はきれいでもおかしくない。昔はきっとたなごやフナなどのさかなや虫も、そして水辺の涼しげな草々もあったのだろう。泳ぐこともできたんでしょう? なのにどうしてこんなに汚い川になってしまったのか。人々はこの臭いに麻痺し、諦観している。この川は目の前の瀬戸内海に流れ、人々はそこで取れた魚を食べ、その先の下津井の蛸を喜んで食べている。自分や子孫を守るにはベジタリアンになるしかないのか。


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