サルスベリ
庭にサルスベリの木がある。サルスベリはかんかん照りの青空がよく似合う木である。暑い夏にもめげず、次々とかわいらしい花を咲かせる。
どんどん咲いてたくましい。水を少々やらなくてもしおれることもなく咲き続ける。小さな花たちが固まりになり、一つの大きな花に見える。空に向かって大きく手足を伸ばしている風情だ。チアガールのボンボンのようで、風が吹くとチアガールが華やかに踊っているように見える。
サルスベリは暑い日にはさらに勢いを増すようだ。太陽からエネルギーをもらっているのだろうか。他の木々達は密やかにしているというのに。 強いイメージだが、小さな花びらたちは非常に美しい。フリル状になっていて、とても清楚で気品があり、しかも可憐である。ピンクの花が多いが、白い花のものもまた美しい。
ある暑い夏の日に京都を訪れたとき、南禅寺だったか天授庵だったか忘れてしまったが、白い大きなサルスベリの木があった。その日、京都は大変な暑さで、草や木々は息も絶え絶えとなり、足下には苦行僧のようなスギゴケたちのほとんどが茶色に憤死していた。しかし、大きなサルスベリはしおれることもなく、美しい白い花を咲かせていた。
庭のものは今年は暖かかったのだろう、11月になっても花をつけていた。6月終わり頃から咲き始めたので、4ヶ月は咲いていたことになる。百日紅という別名の通り本当にタフな木である。ものの本にもサルスベリの性質は強健とある。実生からもかなり大きく育つ。いつの間にか30センチ四方のコンクリートに囲まれた土に実生から小さな苗が育っていた。家のものはピンクだが、白い花をつけていた。
この盛んな花を妻が生けようとして、枝を切ったところ、あっという間にしおれてしまった。大地に根付いていないとだめなのだろう。 意外に脆いのだ。 ずいぶん前のことだが、伯母の家の庭に大きなサルスベリの木があった。少年の僕がその淡いカフェオレのような美しい木肌に見とれていたら、伯母が「その木は猿も滑るからサルスベリというんだよ。」と言った。僕には信じられなかった。木肌はつるつるとして艶やかで確かにサルでも滑りそうだった。きれいな肌だが、触ってみると、それほど滑らかではない。滑らかに見える蛇の肌のようなものか。何を血迷ったか、一度登ってみようとしたが、木登りなど無縁の僕には歯が立たなかった。
不思議なことに花を覚えていない。きっと長い間咲いていたはずだ。花が咲いていたことも、花の色がピンクだったか白だったかも。太い幹の薄い茶色と白っぽい線が縞模様の肌を今でも鮮明に覚えているのに。
木にそれほどの興味もなかった僕はその「サルスベリ」というユーモラスな名前と美しくも艶やかなその肌を持つ木に惹かれていたのかも知れない。とうの昔にその庭は人手に渡り、優しく芯の強かった伯母も亡くなってしまった。あのサルスベリは今どこかで咲いているのだろうか。
(児島医師会報 2006.11月号掲載)