先生という呼び名

 「先生」とは広辞苑には「@先に生まれた人。A学徳の優れた人。自分が支持する人。またその人に対する敬称。B学校の教師。C医師、弁護士など指導的立場にある人に対する敬称。D他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称。」とある。
この中で最もポピュラーなものはB、それからC。

 医学生の時にテニス部の先輩の医師にコンパの時に突然「先生」と呼ばれ面食らってしまった。なぜ私が医者でもないのに先輩からそう呼ばれなければならないのか、どうしても理解できなかった。後になって一部ではあるが実習にまわり始めた医学生をそのように呼ぶことがある、つまり習慣のようなものがあることを知った。おろかなことだ。 医者になってからすぐ先生と呼ばれ始めた。が、病院の年輩医師や職員の方、それもずいぶん年輩の方から「先生」と呼ばれることにずいぶん抵抗を感じていた。このころは広辞苑の例でゆけばCだろうか。いや指導的立場ではないし、敬称でもない。Dか。そう、飲み屋での「先生」、「社長」のノリに近い。これなら気が楽ではある。親しみを込めて呼ばれるのならいい。ひょっとして、馬鹿にされているのかも。  先生という呼び名は呼ぶ方も呼ばれる方も受け入れやすいもののようだ。単に医師の呼び方をこう呼ぶようになってしまったものだが、私には敬称としての「先生」が常に頭に上る。「先生」は常に目上の人、なにかを教えてくれる人のことだから。だって小学校の時そう教えられたではないか。

 NHKの昼のドラマ「ええにょぼ」というドラマがあった。不評だったのだが、一つには医師が医師らしくないからだ。さらにヒロインの女医が内科医でそして研修医でありながら毎週金曜日から日曜日の夜まで当直をはずしてもらって夫の元へゆくというおまけがついていた。こんな羨ましい話はめったにお目にかかれない。そんなあまいもんではない。

 良きにつけ悪しきにつけテレビに現れる医師はそれらしくない。独特の雰囲気がない。おしかりを受けるかも知れないが少々傲慢、尊大な感じがない。 その原因はというと医学部を卒業したからといって、本当になにもできないのにすぐに「先生」、「先生」とちやほやされるからだ。なんだか難関の大学に入学したということが未だに頭の大勢を占めているからだ。このあたりのことは山崎章郎氏の「病院で死ぬということ」に詳しい。

さて、私は指導医や偉い先生方からもやっぱり先生と呼ばれた。教授にさえ呼ばれることもあった。かの大婦長は「先生! これからは気をつけて下さいねッ。二度としないでね。もうほんとに」と強烈な最後っぺ。大学で教授や看護婦さんにいためつけられるもつかの間、外の病院に出て再び、先の状況となる。せっかく自信を無くしかけているのに、再び元通り。

 研修医などは「先生」と呼ばないのがいい。本人の為だ。「おい、研修医のセノオクン」でOK。

 最近になっても、いまだに年輩の方から「先生」と呼ばれると大変面はゆいのである。いつかは「先生」と呼ばれても恥ずかしくない「先生」になりたいと思う。


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