終焉の予感


 21世紀ももう1ヶ月が過ぎてしまったがどんな世紀になるのだろう。医療はとんでもなく進歩するのだろう。私のぼけぼけ頭では全く予想もつかないが、今世紀の一番の問題はクローン人間だろうと考えていた。ところが、である。つい先日クローン人間を造るという人間が現れた。アメリカでは禁止されていないらしい。

 少し前、腎移植の必要な女性が、拒絶反応のない腎を提供してもらうためにクローン人間を作ることを各機関に嘆願するという番組を見た。本人にとって非常に切実な問題に違いない。
その番組で識者が将来必ずクローン人間は現実のものとなると言っていた。私も人間の本性を考えると現実のものになると確信していたがこんなに早くとは。大富豪の子どもや愛する人が死んだとき、できるなら大金を投じてクローンを作ろうとするだろう。すでにクローン猿が生まれたと報じられた。霊長類は初めてだというが、それから何日も経っていない。クローンでは遺伝子的には全く同じ人間ができあがるが、環境や食べ物などから全く同じ人間は決してできない。

 自分のクローン人間が生まれたとして、関係はどうなるのだろう。当然年齢は異なり、決して同じ育ち方はしないから、間違いなく別の人格になる。双子の弟か妹に近い感じだろうか。移植をするとして、その"別の自分"が自分のために腎を提供してくれるのだろうか。
"No!!"というかもしれない。臓器を提供する人間は自分と同じ遺伝子を持っていても考え方は違うのだ。拒否する権利はあると思う。同じ遺伝子をもった異なる"自分"の存在を否定するかもしれない。デカルトならなんというだろうか。

 人間が遺伝子をもて遊び、操作する。もともとは人々の幸せと医学の発展のためである。そのおかげで苦しみから多くの人々が救われるだろう。だが儲けようとするものもいる。よく神の領域といわれるが、実は単なる人間のエゴだ。

 さて、つい最近のことだが、NHKの番組で精子バンクのオークションを可能なら積極的にしたいという女性が参加者の過半数いた。ハンサムで背が高く、優秀、スポーツや芸術に非常に優れているといった男性の精子が当然のことながら人気のまとである。また、実際にハーバード大学の優秀な女子学生の卵子が500万円で売られているとも。人間の欲望は本当に果てしない。自分の子どもなら、かわいくて頭が良くて、丈夫でスポーツ万能の方がいいよね…などという自分を省みない参加女性の意見がまかり通っていて、現実になると脳天気に考えているところが極めて恐ろしいところである。
おぞましくも彼女たちには父親という概念はないらしい。

 もうずっと後戻りができない世の中になってきている。クローン人間はその代表であろう。このままこの世紀は人間の欲望を満たそうとしてこの世界を際限なく膨らませていくだろう。しかし、その前に、誰も予想もできないような激しいしっぺ返しが来るに違いない。
 いつもこの手の研究者は困っている人の希望を叶えるというが、自分自身の欲望と重ね合わせ、莫大な富と名声とねらっているのは間違いない。ごく少数の人々の欲望をかなえることによって地球上すべての人間そのものの未来を危うくしていることに気付かないのか。

 それにしてもあの卵子に五寸釘のようなピペッドをブスッと突き刺す映像を見て戦慄を覚えるのは私だけだろうか。

 さて、"ジュラシック・パーク"のマイケル・クライトン監督がコンピューターによって世界は多様性を失うだろう、と話していた。世界中に同じ情報が行き渡り、すべてのものが多様性を失っていく。これと同じく遺伝子のことにおいても遺伝子差別が起こり、多くの遺伝子たちはその役割を果たすことなく滅び、その結果、遺伝子は多様性を失っていく。多様性を失ったものは滅びる運命にあるのである。トキや未来のチーターのように。

(2001.2)

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