東福寺


 駅を下り、下町の民家が連なる喧噪の中を群衆とともに揺らぎながら東福寺への道を歩いた。北門をくぐると風景が一変する。あたりは塔頭寺院が連なり石積みの道が続く。その塀の甍にしだれかかる楓は色をなしていなかった。東福寺に近づいたという喜びと失望に揺れる。今年は例年に比べると随分暖かい秋で、楓はまだ目を覚ましていない。
 雲がゆっくりと流れながら、澄み切った青い空を通り過ぎようとしていた。あたりは秋というには控えめな優しく暖かい光があふれていた。

 僕たちは東福寺の通天橋に向かっていた。臥雲橋から通天橋を望む。鮮烈なプロローグである。法堂から開山堂へ行く廊下が通天橋と呼ばれている。すべての人々がこの小さな橋を通り、洗玉澗という愛らしい渓谷を渡る。橋の中央部に切り妻の張り出しがあり、地を這う楓を見ながら渡るのである。水上勉氏はこの寺を開いた聖一国師が中国の径山にあった橋を模して通天と名付けたと紹介している。この橋も昭和に入って、台風の時に倒壊し今はコンクリートで補強されている。この無粋はこれほどの人並みを支えるには致し方ないのであろう。

 人が満ち、大きな強い意志に押されるように通天橋の張り出しに向かっていた。こういうときには遠慮会釈は必要ないのだろう。ひたすら前に向かった。張り出しは渓谷に文字通りせり出していて、眼下の楓たちをパノラマで眺めることができるのだ。









 地面が隠れてしまうほどの楓が見下ろせる。下にはささやかな水の流れがある。背中が曲がるほど押されながらせり出した舞台に望んだ僕の目に入ったものは麗々たる楓たちのハーモニーであった。暖かい今年は全体として6分といったところであったが、一部は美しい緑葉を残し、あるものはひかえめに黄色に化粧し、またあるものは赤ん坊の手のひらのようにあどけなく美しい紅をきらめかせて楓たちは見事な調和を見せていた。
 しかしそれにしても秀麗な紅葉である。この約2000本といわれる錦秋もまた聖一国師が将来した苗ということである。ある意志に従って、木々たちは美しさを競い、移りゆく季節の鮮やかさをかいま見させてくれる。彼らの佳麗な舞踊に言葉を失い、心を奪われた。荒々しさにもまれながらいつまでも、心は静かに季節の移ろいを見続けていた。
 

 橋の下に下りるとこちらも人でいっぱいだったが、子どもたちがきらめきの残った一葉を一心に集めていた。ひとりの幼子が潤いを失った葉々の絨毯で遊んでいた。かさかさと心地よい響きが喧噪をかき消していた。
(2000.12)

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