潮干狩り
5月5日に瀬戸内海、本島の岡山側にある、小さな向笠島の干潟で潮干狩りを楽しんだ。晴天で風もさわやか、1時間ほど船に揺られた。島に到着した頃には干潟は人の群で黒くあふれかえり、まるで有名な観光地のようだった。
あらはれし干潟に人のはや遊ぶ (清崎敏郎)
「今年は貝がおらへんで。」という声にいささか拍子抜けして、船を下りた。すでにたくさんの人々が泥と格闘している。私達一家は人の少ない干潟の中央部に向かった。これがまず間違いだった。
人が掘っていないような場所をめざして一心に掘る。貝殻はたくさんあるのに、生きた貝がいない。まるで貝塚を掘っているようだ。きっちりふたを閉じてはいても中からは泥がでてくる。ようやくか細い貝脈に当たり小さな貝を続けて見つけることができたが、それもすぐに尽き、またそのあたりをひたすらうろつく。痛くなってくる膝や腰をかばいながらの苦闘。
No pain no gain,but much pain little gain.
大きな生きた貝ははとんど見つけることはできなかった。
船から下りてすぐに気がついたが、大きなヒトデが非常に多かった。貝を食べるのだ。
その日の収穫は次の日の朝餉に味噌汁少々と夕食にアサリの洒蒸小皿一皿という惨憺たるものであった。収穫はだんだん少なくなっているという。海は汚れてきており、これだけの人が毎年来るのだから無理もない。
確かに干潟が汚い。本当に泥である。アサリは砂泥の中にいるものだ。とはいっても、深く掘って出てくるのは黒ずんだ泥ばかりである。ヘドロのよう。昨年、王子が岳の沖の大高洲にいったときも干潟はかなり汚かったと思うが、こちらの方が、もっと、汚れている感じがした。瀬戸内海はもうダメだなと思う。アサリも少なくて小さくて、元を取ろうとして小さいものまで取ってくるのでよけいに少なくなる。海洋の汚染でヒトデが増え、さらに減る。貝は海を浄化するが、全体として海は自浄作用を失ってきている。もうあまり貝をも食べない方がいいのかもしれない。
今はなくなってしまったが、児島にあった英語大学の校長は海の汚れや、薬物の使用によって魚介類、食肉類が汚染されていることを知り、ベジタリアンになったということだ。
しかし、潮干狩りはやっぱり素敵なことである。潮風に髪をなでられ、波を感じ、さわさわした塩水で遊びながら、貝を掘る。子どもたちにとって貝が生きているかいないかは問題ではない。小さいカニを追いかけたり、ヒトデを突っついたり。子どもが自然を相手にとんとん、ころころ、ざぶざぶ遊ぶ。これが大切なのだろう。
私は岡山の街の中で育ったので、大高洲のような海の真ん中の干潟で潮干狩りができることを児島に来て初めて知った。とても素晴らしく楽しい経験である。でもこのまま海が汚れて、潮干狩りもできなくなるかもしれない。
子供たちが大きくなって、孫の時代になったとき、もう潮干狩りもかつての塩田の景色とならない保証はない。「おじいちゃんたちはこの海の真ん中で海が干上がったとき、アサリを取っていたんだよ。」「ふ−ん、貝って手で取れるの?海にいるの?」なんていうことにならないようにしたいものだ。
汐干狩りみちきし潮に貝洗う (西池涼雨)
このころは海もきれいだったのだろう。
Much gain a lot of loss.
(1992.6)