空は空いている   


  先日「カンブリア宮殿」というテレビ番組で、森ビルの森稔氏が言っていたことばである。
彼はあの六本木ヒルズなどを所有している会社の社長で、今上海に上海ヒルズというビルを建設中である。
できあがれば101階、高さ世界2位となる500メートルにもなろうとする巨大なビルである。建設中の97階から見える風景は周りの高層ビルを圧倒し、異様ですらある。人というものは性懲りもなく現代のバベルの塔を作りたいのだ。
高いところから見下ろすのは気持ちが良い。自分が何か特別な存在であると勘違いするのだろう。
 子どもの頃、ジャングルジムすら怖かった僕は、どういう訳か高いビルが好きになり東京に泊まるときにはできるだけ高い階のところに泊まるようになった。その窓から見える東京の景色にはじめのうちは感動したものだったが、最近は味気なく思えてきている。
東京のホテルに宿泊した翌朝、カーテンを開けると雨が降っていた。木々の姿から風も吹いているようだ。それを空調の効いた快適な部屋で何一つ感じられなかったのだ。
コマーシャルなどで紹介される東京の高層ビルのマンション生活をうらやましくも見ていたが、そのように思わなくなった。なぜかあの魅力的だった夜景も今はもの悲しく切ない。
番組で森社長は、新橋などの古い飲み屋街を残すようなノスタルジーは捨てた方がよい、世界から取り残されるだけだと言っていた。カミソリの刃の部分だけのような生き方なのか。
あの六本木ヒルズにはたくさんの施設があり、一つの大きな街を形成している。美術館やメダカのいるおしゃれな毛利庭園もある。病院や保育園もあるらしい。隣の住居棟もかなり背が高く、同様にお値段も相当なものと聞く。若くして成功した人たちが住んでいるようだ。やっかみ半分だが、このようなところで育てられた子どもたちがどのような成長をするのか不安でたまらない。
優秀でビジネスの能力に長けた子どもたちが育つのかもしれない。
 しかし、高層マンションで子どもを育てるべきではない。外で遊ぶことは少なくなり、確実にコンピューターと携帯の依存症になるだろう。それでも水や土、小さな生き物と遊ぼうと思ったら、遙かで不気味なエレベーターに乗らなければならない。雨のにおい、遠くから運ばれてくる花の香り、さわやかな風、そして生き物たちと触れることが極端に少なくなり、木の根っこや石ころで転んで頭にたんこぶを作ることもなくなる。くさいものや不潔なものからも遠ざけられる。いやなものは真綿でくるまれ、その結果感受性や思いやりの心は育たなくなる。
 命の大切さを感じる機会はどんどんなくなってしまう。昆虫学者の矢島稔さんは「自然を知らずに育った子どもは、人間らしく育たない」と言っている。無機質なビルの中に乾いた無機質の子が育つと思う。
当然のことながら、危険を回避する能力はなくなってくるだろう。高い所を怖いと感じるのは基本的な本能であり、身を守る重要なものである。落ちるということの恐怖を感じ始めるのは生後10ヶ月頃で、脳の発達と重要な関係がある。
子どものことだけではない。人間は地上から離れれば離れるほど、人間的なものが失われていく気がする。
宮崎駿監督映画「天空の城ラピュタ」でヒロインのシータがムスカに言ったように人間は土を離れては生きられないのだと改めて思う。
高いところからの錯覚と引き替えに、人々は大切なものを少しずつ失っていく。
(児島医師会報 2007.11月号掲載)

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