夏来る
耳元で蝉がシャアーシャアー・シャキシャキ鳴く。頭の斜め上にケヤキがあり、たくさんの蝉たちが取り憑いている。汗がだらだら吹き出す。まだ十分明けていないのに、君達には時間が無いんだな。考える余裕もなくまた夏が来た。待ちどうしかった梅雨明け。
遠く真っ青な空の下の入道雲を思い浮かべながら別に嫌いじゃないよ、などと呟いて、のろのろと起きあがる。
意外とひんやりした風がカーテンをすり抜ける。日中と夜の厳しい暑さに比べると、朝、朝凪が来る前の束の間のさわやかな夏がある。暑さが違うのか、昔はクーラーなど使わなくてもこんなにこたえることはなかった。
よく言われることだが、昔の日本人は上手に夏を生活していた。日陰にはいれば風があり、涼しげな風鈴がそよぎ、簾の向こうには、夏がもうひとつの顔を見せていた。
杉苔の 庭にノの字の 青簾
彼方の入道雲、涼を運んでくる突然の夕立。ほんとに気持ちよかったね。
着ながらに せんたくしたり 夏の雨 (一茶)
夕立が最近ほとんど見られなくなった。よく夕立に追いかけられて逃げ回ったっけ。
日本は何処でもこんな風景があった。障子を開け放した畳の上におなかに金太郎の腹掛けをした赤んぼが大の字を描く。風がさわさわ渡る。
そして井戸に西瓜、縁側に蚊取り線香、夜空に花火とくれば、これは素敵な夏の風物詩。これって今ではもうコマーシャルの世界?
いいねえ。こんな僕はもう化石と呼ばれそうである。
最近ではコマーシャルでしか見られない情景になって来つつある。このような情景を残すことは難しくなってしまったのだろう。児島のような地方でもかなり少なくなっているのではなかろうか。
このような情景を残したいと思う。大切なのは風と水であろう。福岡市が作っているように風を通る道を作り、水のさわやかな演出をすること。近くに水があるとマイナスイオンが出てきて、さわやかとなる。
加えて木をたくさん植えよう。緑をいっぱいにして、風の道を作り、クーラーを使うのをできるだけ我慢したい。アスファルトなどの舗装をできるだけ反射の少ない石や、タイルに代え、必要の無いところはできるだけ土を残し地下水をたくさん確保したい。車をできるだけ使わないことも大切だ。人々のこころが強くなければならない。
(2000.10)