鷲羽山


 すでに暮れ始めていた。車で向かう道から巨大な紅色のボールが山の向こうに沈みかけていた。車のトランクから山登り用のシューズを取り出して、履きかえ、鷲羽山山頂に向かった。高い山ではない。ほんのウオーキングのつもりで出てきた。5分ほどで来ることができる。
 その昔、たぶん小学校の遠足でここまで来たことがある。橋以外はほとんど変わらない風景がそこにある。その後何回か来ているが、悲しい山になってしまった。哀愁が漂う。何台かの車があるのも意外な感じがした。以前は瀬戸内海の島々の美しさを全面に自信満々の観光地だったのだ。瀬戸大橋ができてからもますますその期待は大きくなったが、何かが変わってしまった。瀬戸大橋を見に来る人などいなくなってしまったのだ。
 レストハウスに数人の若者が来て、海を見ていた。と言うよりは瀬戸大橋を見ていたのだろうか。櫃石島との海峡は文字通り狭く、東から西に強い潮の流れが見えた。流れに逆らって貨物船が苦しそうに航海していた。
 懐かしい遊歩道を歩いた。10年ほど前に山火事があり、ほとんど山全体は焼かれて、黒ずんだ倒木が横たわり、上の方だけ、枝と葉を残した寂しげな松が所々に見られた。 今は1〜2メートルほどの小さな松たちが、どんどん育っている。おそらくは20年〜30年経つとまた元のような美しい松山を見られるのだろうか。 頂上のあたりにくると、瀬戸大橋越しに下津井港と小さな町が眼下に望める。江戸時代には潮待ち、風待ちの船が停留し栄えたところである。下津井のあやしく細い町並みにその栄華をわずかに残している。  すでに太陽は沈みその余韻が美しい。空は青、橙、灰色、ダークグレイの順に光が並び、折しも淡いもやがたち、ふんわりと美しい。ある人がその光を写真に捉えていた。鷲羽山からはどうしても瀬戸大橋が入ってしまう。  それでいいのだろう。僕には瀬戸大橋は本当に魅力のないものに見えた。
 山頂に近づくほど、騒々しくなる。とても高い料金で交通量は少ないとはいうものの、と考えていたら、さらにがたがたと音がして、電車が走り去った。 頂上に感慨はない。児島側の海も見えるがすでに光を失った海は美しくなかった。四国側は橋が美しさを削り取っている。ある有名な俳優が瀬戸内が気に入り、住みたいと近くに土地を探したそうだが、瀬戸大橋が見えるということで、この地は却下されたということだった。  下りの道に、「島一つ 土産にほしい 鷲羽山」という碑が残されていた。誰の作だったか忘れたが、島々は橋で繋がれている。
タグボートが小さな明かりを点滅させながら、重そうなタンカーを流れに沿って曳き、瀬戸大橋の向こう側に消えていった。 ポンポンと聞こえた気がした。
(2002.10.4)



















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