テニス


テニスへの思い
 診療所を構えて仕事をしていると、いろいろなストレスがかかります。本当にたくさんの問題が出てきては悩まされ続けています。そのストレスを和らげるためにいろいろなことに手を出していますが、僕の場合、そのストレスを発散させることができるものはテニスをおいて他には見あたりません。
 趣味はたくさんあります。音楽を聴くのもいい、映画を見るのもいい、本を読んで感動することも、花を植えてあーきれいになったと喜ぶこともいい。すばらしい絵を見たり、旅行も大好きですし、山を歩くのもとても気分がいいものです。車を少しだけびゅんと走らせても楽しい。
 しかし、テニスをしていて、とても良いボレーが決まったときのような何とも言えないスカッとした感じは味わえません。テニスをしているときには本当にテニスのことしか頭にありません。頭の中がテニスのボールを何とかしようと思う以外、何もないのです。
 もちろん良くないこともあります。一時はいろいろなトーナメントに出ずっぱりでそのために必死でトレーニングをして、試合に勝とうとして、これがまたストレスになったりしたこともあります。また、長い間テニスを続けていますと、いろいろなところが悪くなってきます。僕の場合、右手首で2年間、右膝で2年間全くテニスができなかったこともありました。その間はストレスたまりっぱなし、という状況に陥ったものです。現在は右も左も膝は十分ではありませんがなんとかひどくならないようにしながら、また、右足首は20年前の捻挫が元で靱帯が伸びたままになっているので、これもしょっちゅう痛むのですが、特殊なサポーターをしてだましだまししながらテニスをしています。ですから、たとえ、いろいろな故障に悩まされていても、なんとか予防しながらテニスを続けていきたいと思っています。先輩で80歳になられてもまだがんがん元気でテニスをされている方がいらっしゃいます。そこまではむりかもしれないけれど。あまり頑張らずに・・・これはみんなに言われますので。
(2002.5)

近況
2021
 10月10日 なんとなくワイパースイングの感覚がやっとわかった気がする。これから実際に打てるかは全くわからない。
   5日相変わらず一生懸命、ワイパースイングをしようとしているが全くできない。時々フォアが壊れることがあり、ガクッとなる。
 9月 まだ頑張ってしたいという気持ちだが、どんどん下手になるというか、全然気持ちよくテニスをしているわけではない。体が大変きつい。右手第二、三指がばね指で2年痛く、右大腿筋外側痛すでに4ヶ月続いている。頸椎症があり、両上肢、両肩にしびれがあり、左膝関節炎、右側関節炎が続いていて、もうボロボロである。
  それでも運動のためなのだろうか、続けている。認知症になりそうなので少しでも予防のためにしている感じ。まあテニスができていたら車の運転はなんとかできるだろうなんて考えてしている。うまくなれない。もちろんもう年寄りだから仕方がないと思うが、悲しい。現状維持も難しい。
  ミスが多いのでもう少し丁寧に打って続けたらといわれるが、つなごうとするとミスが出る。思い切って打つ方がよほど気分がいいから。バックドライブを目標にしていて、スイングはひたすら練習しているが、実際に打つのは本当に難しい。
  バックのドライブは高校生の時にソフトボールの野球していたとき、左バッターで打っていたのでできるはずなのだが。なかなかうまくいかない。ドライブの練習をしていたらスライスまでうまく打てなくなってしまった。これが僕の下手さ。

2020
6月膝が繰り返し痛みが出てくる。3年前に左鵞足炎をおこし、良くなったり悪くなったり繰り返している。右足関節痛はすでに30年以上、最近は右肘関節痛と右中指関節痛で苦しんでいる。 どんどん思い描いたショットとは離れてしまっている。悲しいが現実。いつも「テニスができているだけで幸せ」と考えるようにしているが、本当はそんなこと考えてはいない。

2017年
 フォアが少し打てるようになった。ワイパースイングに変えて、ラケットもより軽く、スイートスポットが広いものに変えている。
 バックのドライブが打ちたいです。フェデラーのような。絶対無理ですが。

2016年少しずつボールが当たるようになったが、まだまだ。しんどさもきつい。昔のようには動けないし、ボール感もないし、目も悪いので良い感じにはなかなかならない。

2015年 ぼつぼつしている。相変わらずボールがラケットの真ん中に当たらない。

2014年13年ぶりにまたテニスを始めた。故障と相談しながらぼつぼつとリハビリテーションの様にゆっくりしている。
さっぱり当たらない。すぐに筋肉や関節が痛くなり、一生懸命ストレッチと筋トレをしている。
ブランクは大きく、動くこともできないので本当に苦しいが、すると決めたので、少しずつやっていこうと思う。
昔の仲間とテニスができるのが本当にすばらしい。

もうテニスもできなくなりこのページも削除しようかなと考えています。(2007)
2006年以前のもの
この頃は体のあちこちが次々に悪くなり、本当にテニスをすることができなくなりました。残念なことですが、やはり年なのでしょうか。 最近は運動能力もさることながら気力が失われてきています。何とかすこしずつでも続けていければと思っています。ただ、まずいことに膝がかなり悪くなっていて、たぶん積極的にはもうできないでしょう。筋肉トレーニングをこつこつして、またテニスを楽しめるようになりたいものです。

このところ膝の調子が少しよくなってきたので、恐る恐る始めました。ブランクは約2年と少し、全くボールを打っていなかったのですが、なんとかそれ程はずさずに当たっています。しかし、当然のことですが、全くボールが飛びません。
不思議なことにバックハンドはそれ程めげていません。(めげる:壊れる、という岡山弁)フォアハンドがまるっきりだめですね。(2001.11)

1週間に一日くらいのペースでぼつぼつしています。サイボーグのようにサポーターで右足関節と両膝関節を固定して、恐る恐るテニスしてます。もちろん早い動きなど恐ろしくてできません。老いたテニスです。ダブルスの場合は守備範囲が狭いので、合理的に動けば何とかなります。
無理をすると、後が応えますね。(2002.3)

 テニス部のOBが教授になられるお祝いに集まりOBのテニス会をしました。中四国学生選手権で過去単複優勝した2人と3位の1人と僕とでダブルスをし、タイブレイク11−9で勝ちました。この3年間(2年間は膝の故障でプランク)で最高のできでした。(2002.4.29)

 良いことがあるとすぐに悪いことがおこります。少々調子に乗っているとすぐにどこかが悪くなります。
す。今回は右肘のテニスエルボーに悩まされています。
(2002.5.14)
 

好きなテニスプレーヤー
 なんと言ってもフェデラーです。それから少々古いですが、ジョン・マッケンローピート・サンプラスです。
 マッケンローといえば、そのすばらしいタッチ、特に彼の見せるまさに天才にふさわしい、究極のボレーでしょう。ゆるゆるのガットの上にボールがしばらく休んでから、スー、ふわっと出てくるボールがそれはそれは鋭くすべるようにコートの隅で踊るのですから。
もう何年も前に、彼が引退してから、イグジビションマッチでしたがビヨン・ボルグとのシングルスを大阪まで見に行ってきました。目の前にあこがれのマッケンローがプレイしていました。ほとんど全盛時と変わりないような雰囲気を持ち、すばらしいテクニックもでした。
ピート・サンプラスはとにかくかっこいい。テニスがダイナミックで、抜群の身体能力とセンスを持ち合わせた希有の選手です。特にここ一番に見せる集中力はとにかくすばらしいの一語です。最終セットの自分のサービスはセカンドサーブでも180キロ以上を出し、そのコースはほとんどサービスラインの角の上に配されるのですから。

最近はさすがのピートもサーブが以前のような勢いがなくなってトーナメントに勝てなくなってしまいました。サーブが破壊力がなくなると、ベースラインプレーヤーにいいようにやられてしまいます。まず、リターンでパスされるか、足元に打たれ、ボレーが甘くなって次のボールで簡単に抜かれてしまうという勝てないパターンになっているようです。今一番乗っているヒューイットのようなすばらしく足の速い若者にはもう勝てないのかもしれませんね。サーブが甘くなってくると、リターンで簡単に抜かれるか、足元に厳しく打たれて決めるボレーが打てない、そうすると次で簡単にパスされてしまいます。もう見ていられないくらいです。 (2002.3)

女子のテニス
女子のテニスも最近はパワー全盛となっているので、あまり好きではありません。
それと余談ですが、テニスウエアが進化しているのは認めますが、女子選手の乳首が形になってウエアの上から見えるのはどうもいただけません。あの形式を重んじるウインブルドンでも見られますが、本当に下品です。もう一つ、アンダーウエアがショートパンツをはいているのも見苦しいです。

僕のテニス
大学時代
 大学に入ってから始めました。悪友に無理矢理コートにつれて行かれそのまま庭球部に入りました。そのまま好きになってしまい、一生懸命してきました。 大学の団体戦は本当に充実していて、きつかったですが、楽しかったです。もとよりセンスがなかったので、ひたすら続けるテニスでした。
大学時代は団体戦で西医体という大会があり、西日本の医学部のある大学の全ての会で準優勝2回、3位2回、ベスト8、2回という成績でした。特に6年生のときの準優勝は大阪医大との対戦で優勝をほとんど手にしていたのをひっくり返されたことが今でも残念です。
3年生からレギュラーメンバーとして出場してきましたが、5年6年では大体勝つことができて、いい思い出となっています。
個人戦はあまり出ていないので、いい成績は残していません。

卒業後
大学を卒業してしばらくは忙しかったので、何年かはほとんどできなかったのですが、開業してからは、体力が必要なこともあり、また、ストレス解消のため、少々一生懸命してきました。
元岡山県の国体選手である、石川武平さんとの出会いで、彼のクラブに入れていただいてテニスをしてきました。彼はジュニアの育成では本当にすばらしい手腕を持っていて、すばらしいジュニアの選手が育っています。僕たちはジュニアの踏み台になっています。どんどんいい選手が育っていってほしいと思います。

倉敷市の大会
何年か前に倉敷市のB級シングルスで決勝までいきましたが、負けてしまい、このときがおそらくA級になる最後のチャンスだったのでしょう。どんどん若い本当にうまくて強く、体力のある人が出てくるので、僕らのような中年にとっては実際のところ,A級になるのはほとんど無理でした。テニスのスタイルも全然違うので、センスのないものにとっては仕方がない気がします。
何年か前倉敷市の壮年(45歳以上)では優勝しA級になることができました。
3年ほど前には倉敷市一般(壮年ではありません)のB級のダブルスで優勝することができましたが、このところでは最後のいい思い出でした。


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