コンピューターは子どもの未来をばら色にするか


 現在、私たちは多くの本物でないものに取り囲まれています。今の子供たちは小さい時から、直接触れたり、肌で感じたりすることで、身の回りの自然から学ぶことの多い外遊びより、ゲームの世界に入り込んでいきます。なんと2歳からコンピューターをと宣伝しているところもあります。
 教育においてもまたコンピューター化へと加速、埋もれて息もできなくなるような情報の世界へと子供たちをこんなにも魅力のある物として導こうとしている現状では、彼らの心はバーチャルの空間へ取り込まれてゆく一方です。もちろん、よいこともたくさんあるでしょう。
 しかし、そこは人間の五感の失われた場所です。あるようにみえる物体や音も電子の箱が作り出した物です。ふれた感じ、臭いはもとより痛みや苦しみを感じない世界です。むろん自然の生命活動はありません。これは大変恐ろしい。自然に対する気持ちがどんどん希薄になってゆき、畏敬の念など感じるはずもないのです。これで人の痛みや苦しみを理解する子供たちが育だつのでしょうか。
 「たまごっち」というゲーム機が大変売れていろいろな事件が起こり、悲しい社会現象になっています。子供や若者の心がいかに砂漠のような乾燥したものになっているかがよくわかります。私はたまごっちをよく知っているわけではありません。察するに自分に訴えかけてくるほんの一握りの機械に心の支えを感じているのでしょうか。それとも"生き物"の生死を握っているという感覚に魅せられているのでしょうか。すぐにリセットして、殺してしまうと問題になっていますが、実はこんなことは当然予想されることです。こんな愚かなゲームに人々が魅了されるのも病める現代の一つの症状といえます。
 たとえば、ペットを飼うことはいろいろな煩わしいことがあります。犬なら雨の日にも、散歩にもつれていかなければなりません。糞の始末もしなければなりません。その死も大変悲しいものです。このような現実の苦労を経験することなく、また、ペットを飼うことで得られる喜びを感じることなく、ボタン一つのゲームとしてすましてしまうのですからあまりにも短絡的なことといえます。
 これと同じことが、何かの問題に直面したとき、現実のものから目をそらして目の前のディスプレイに逃げ込むということが容易におこってくると思われます。自分に迫る感覚も現実として信じられなければ他人の感覚もまったく理解できないのは当然のことなのです。
 今の子供たちはそのような痛みや苦しみの体験に突き当たったとき立ち向かうことなく、その場に立ちつくすしかないのです。
 このようなコンピューター一辺倒の世界の持つ暗い側面に憂いを感じざるを得ません。

 さて、私たちはこのすざまじい勢いで変化するこの状況にどのように対処したらいいのでしょうか。そして、自然を大切に思い、人の痛みや苦しみを理解できる心を持てるよう子供を育てるにはいったいどうしたらいいのでしょうか。
答えは一つ、小さいときから自然のものにしっかり触れ、遊ぶことです。早くからバーチャルの世界に入り込む必要などないということです。(98.9)


孤食について 命を大切にするということへ
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