水泳授業に臨時職員を
てんかんの既往がある、または現在てんかんの治療を受けている小中学生にとって水泳の授業は大きな心の壁になっている。てんかんという病名を持っただけで、それが過去のものであっても、水泳の授業を受けることができないか、あるいはたとえできたとしても"監視付き水泳"をするということになる。
今の学校はもうずいぶん前からがちがちの事なかれ主義を貫き、そのために多くの弊害がでているにもかかわらず未だに省みられることがない。
学校においては事故があってはならないという至上主義はその教育の本質をどうしようもなくゆがめてしまった。
詳細は不明だが、ある学校でこどもがてんかんということで水泳授業が受けられず、ほかのこどもたちが水泳を楽しんでいるとき、運動場の片隅で草むしりをさせられていたことが発覚し問題になった。人権侵害といってもおかしくない事件である。
この子どもの受けた心の傷を思うと胸が大変痛む。このようなこどもの心を無視した行いが学校で平然と行われたことに背筋が寒くなる。これが教育といえるのか。
神戸の小学生殺人事件で学校のあり方が影響したのではないかと言う意見もあったが、私はそうは思わない。彼の少年の本質的な問題と思う。ただ、あの学校は評判がよく、今まで大きな事件など起こしたことがないといったことが少々気にかかるのだ。おまけに町そのものも新しく静かで良い町と。ひやひやとよそよそしい雰囲気が漂う。
校長もしかり。いかにも管理された学校のようだ。こどもたちの鬱積したエネルギーは必ず、どこかで爆発する。あれほどではなくても事件が起こってもおかしくなかった。
さて話がそれたが、一般的に水泳授業が問題になる場合は主として校長と主治医のせめぎ合いになる。学校としては絶対に事故を防ぎたいので、過剰に"防衛"をする。そこで責任を押しつける形で主治医の診断書が要求される。
泳がせてやりたいと考えている医師は結構多い。てんかんがコントロールされ、水泳が問題ないこどもはまず大丈夫だからと許可を与える。しかし学校と言うところは"まず"という曖昧なことでは通用しない。今回のような意見書なる圧力がかかり、医師の方では絶対大丈夫とはいえるわけはなく、「監視付きで水泳可」というような苦々しい診断書を書くことになる。あるいはそのように要求される。
監視付きの水泳というのは皆様よくご存じのように、こども達にとっては実に肩身が狭い。かんかん照りの中、プールサイドに立つ親も大変だが、自由に楽しんでいる他のこどもたちを横目に本人は相当気が滅入る。仕事で出られない親だって当然いる。このことでまわりのこどもたちからいろいろ言われたりするものである。
それも困ったことだが、監視がいないからと他のことをさせられることもあるかもしれないのである。今回の草むしりの件は異例のことだろうか。
学校保健担当理事になって、何人かの校長と話す機会があったのだが、その学校の校長の考え方で水泳に関する方針が決まってくるようだ。
ある校長はそのようなこどもがいたら、教頭とともに順番に水泳の授業にでて問題になるこどもを見守るのだという。ただ、出張や他の仕事がありいつもでられるとは限らない。そのときにどうしたらいいか、と苦悩の表情を浮かべていた。このような校長のいる学校のこどもは幸せである。今こそこどもの心を思いやる教育が必要なのだ。
そこで、私は提案をしたい。現在こどもの数が減って、教職員の採用試験も厳しい状況で卒業してもなかなか採用されないと聞く。
おそらくは採算の問題だろうが、こどもたちの心と体を育てて行く学校で、少々の費用がかかっても次のことを是非考えてほしい。
それは夏だけ、水泳の授業中だけでもいい。アルバイトの学生でもいい、臨時職員を募って何か問題があると思われる、監視等が必要なこどもの授業の時に監視させてほしい。
そうすれば、いつも監視要員がいるから先生は授業に専念できるし、リスクのあるこどもの保護者も安心して任せられる。先に述べたこどもの心の問題もクリアできる。
またそのようなこどもがいなくても、たくさんの泳いでいるこども達の安全を守るのはとても教員1人では足りないと思うのだ。
いつどんなときでも2人以上の監視がある水泳授業は安心という階段を少し上った感じがするがどうだろうか。