貴船行


 夏の盛り、五山の送り火の日に貴船を訪れた。夏の京都は暑い。岡山も良い勝負だが。貴船行きに期するものがあった。雑誌やテレビのコマーシャルを見てどうしても一度行ってみたかった。
モダンな北山通りをうろうろした後、暑さのためそそくさとタクシーを拾った。想像よりもずっと山の中だ。タクシーから下りると貴船川と最初の料理旅館が見えた。これがあの有名な貴船か。ご予約ですかという声に首を振り、何軒かの料理屋を横目に見ながら坂道を上った。竹の目隠しの上から覗くと川の上に床を作り、その上にござをひき、大勢の人たちが料理を食べていた。これがあの川床である。ゆかというらしい。和服の女性がしきりに客引きよろしく声をかけてくる。予約でなくてもいい。山側に旅館があり、川の上に川床を作り、旅館から料理を持ってくる。その入り口に料理の値段表が置かれている。それを横目で見て、ふーんと平然を装う。最低で6000円、高いもので13000円以上(?)。さすがに貴船は違う。妻と二人で、こんな高いものよく食べるねといいながら、和服の女性たちを振りきって、貴船神社の奥の宮まで歩いた。要するに京都知らずの田舎ものである。避暑地ときいていたが、暑いし、思ったより水がきれいではない。流れも小さい。岡山の豪渓とほとんど同じくらいである。

 妻は少し前に「婦人画報」という雑誌で貴船の紹介記事を見ていた。女優の萬田久子さんが川床の上でお手前をしている記事である。美しい渓流の上で和服の萬田さんが見事に調和していた。妻はその記事と美しい写真をイメージしていた。実は僕はその記事を見たような気がするが、覚えていなかった。何処にそんなきれいな風景があるの。最も下流の料理旅館からほとんどの川面は川床で覆われ、四角い安っぽいテーブルに肘を突き人々は懐石料理を食べビールを飲んでいた。
 写真の中は別世界で、たっぷりとした涼しげな川面があった。渓流も岩と調和して、美しかった。妻は何処がその写真の撮影された場所かを一生懸命探したらしい。わかるはずはない。帰ってから、雑誌をよく見てみたら、おそらく撮影用に上段にある、川床をすべてはずしてしまって撮影したのだろうと思われた。訪れたときにはその川の上ほとんどを川床が占めていたようだ。
 このような紹介記事をそのまま信ずるのは愚かなことではある。

 寂しい奥の宮でお参りをして、帰りにふと血迷った。二人であれほどこんな高いものを食べるなんてバカだよねといいながら、せっかく来たんだしと心が揺れたところに、和服でない女性の一言にふと立ち止まってしまった。結局、なんだかんだ言いながら川床料理を食べる羽目になった。絶妙のアプローチだった。食べたくない理由は他にもあった。川魚を食べたくなかった。鯉の洗いなど恐ろしい。鮎もいや。その女性にしきりに鯉の洗いはいやだとだだをこね最後の抵抗を試みた。「じゃ、鱧(はも)のおとしね。」と一瞬にして落とされた。鱧のおとしとは鱧ちりのことであるそうな。実は鱧も嫌いであった。小さい頃伯父が鱧を好きで、よく骨切りをしていなかった鱧を食べさされ、口の中でくしゃくしゃして、いやになっていたのだ。とどのつまり、骨切りという技術、料理法と鮮度がよくなかっただけなのだろう。

 料理はミニ懐石にした。ただ雰囲気だけを味わいたかったこともあるが、値段である。6500円なり。しかし、鯉の洗いの代わりの鱧の落としで値段は高くなっていた。梅肉でいただく鱧、くしゃくしゃしていなかった。味は今ひとつ、少々青臭かった。後はかわいい鮎の塩焼き、道明寺とご飯と漬け物だった。美味しかったのは道明寺と漬け物だけだった。量はまさしくミニミニ。1本のビールを飲んで、17000円。場所代だろうけれど、僕にはばかげているとしか思えない。それともただの田舎もの?川床の下で魚が冷ややかに尾びれを振るわせた。

 後でタクシーの運転手さんに聞いた話だが、3倍の値段だと言っていたが、僕たちは4倍だと思った。この時期だけで稼ぐのだという。後の時期は猪鍋らしい。確かに川床は涼しかった。24〜25゜Cなのだという。しかし、静かに清流の上で、鳥の声を聞きながらの食事ではなかった。川のすぐ上では細い道をたくさんの車が連なり大変な渋滞。互いに交わすことができなくて、罵声も聞こえる。おまけに妻は虻(アブ)に足を刺された。虻は川床の女性客専門らしく、ひつっこく、振り払っても逃げないと仲居さんが言ってキンカンを塗ってくれた。
 二人で食べながら、もう二度と来ないよね、と言い合った。

 これが100年以上続いているかと思うと、お金持ちと奇特な人たちと僕たちのような田舎ものが世の中には結構いるということで、京都という名前と貴船のイメージはやっぱりすごいんだと再認識した。鴨川にも川床がたくさん出る。暑い京都で涼を取るための知恵であるという。こちらも同じく相当高い。まあとりあえず経験をした。授業料を払ったということをいいわけに鞍馬山に向かった。
しかし、鞍馬に向かうタクシーの中で妻は萬田さんがお手前をしていた風景の中でなら本式の川床料理を味わってみたいとぽつりと言った。
やはり貴船はすごい。
(2000.8)

前の画面に戻る 大山レークサイドホテルの思い出
禁転載・禁複製  Copyright 1999 Senoh Pediatric Clinic All rights reserved.